スペイン・ポルトガルの古城

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スペイン・ポルトガルの古城(新装版)
太田静六 著
2010年10月1日 新装版第1刷発行
 
城郭はそれを必要とする重要な場所に営まれるので、自然と重要地帯に集中する。これに対してイベリア半島では、半島の全域にわたってほぼ万遍なく設けられている。また量も多く、2000個近くに達するといわれる。
 
この理由として
半島全体の地勢による。
ピレネー山脈カンタブリア山脈、シェラネバダ山脈に囲まれ、半島への侵入は地中海の海側しかない。そして入ってしまえばメセタという高原なのでどこにでも侵入でき、どこにでも城郭が築けた。
771年、イスラム教徒による侵入があり、それに対するキリスト教徒の国土回復運動(レコンキスタ)が戦われるようになった。全半島奪回のため、戦いも全半島で行われ、城郭も全半島で構築されるようになった。
 
カスティリャ王国こそが統一国家エスパニアの中心母体となるが、国名にカスティリャ、すなわち「城の国」と名付けた国は世界中に本例以外にないであろうが、なぜ城なる言葉を用いたのか?
著者は国中に多数の城が存在していたから、と考えている。
 
写真や文を読んでも、荒涼とした中の小高い所に頑丈そうな城が建っている印象が強い。井戸を掘ってもどうしても水が不足するので、貯水槽を備えているところが多い。
 
セゴヴィア県のツレガノでは城郭教会という珍しいものが見られる。これもやはり国土回復運動という特殊な事情から生じたものと思われる。
 
コルドバ県で偶然見張り塔のようなものを発見する筆者。岩山上にただ1基の円塔が建つだけのもの。それはあまりに印象的で脳裏に深く刻み込まれたものだった。
 
ポルトガルにおいて、シントラのムーロス城砦は山の尾根伝いに土塁をめぐらした山城である。イベリア半島に見られる城郭の中でも最初期のもので、保存状態も良いので、当時の姿を現実に見られる。
 
ポルトガルの城壁市オビドスは現在も中世以来の城壁で囲まれ、その中で生活するという珍しい存在である。更に道路や家並みにも中世以来の面影が残り、城壁だけでなく主城郭まで現存する。