イタリア遺聞

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イタリア遺聞
塩野七生 著
新潮社
1982年7月15日 発行

塩野七生さんの、イタリアに関するショートエッセイ集です。
当時、「海の都の物語」という、ヴェネツィアに関する本を執筆されておられたようなので、どうしてもヴェネチアの話題が多くなっています。
その中で、アルド・マヌッツィオという、編集者兼出版業者の話がヴェネツィアの特徴をよくあらわしているなと思いました。
.凜Д優張アは、グーデンベルグの発明から、すでに20年後には本を出版
言論の自由がある
Mソ┐平人を集めるのが容易
と力の広さ
ジ電気濃藩僂気譴襦▲リシャ語を得意とする人が、ヴェネツィアでは容易
などなどの理由がありました。
またアルド個人も抜け目なく、上手く資本家に巡り合ったり、かのエラスムスに校正までやらしていたそうですから、この出版社のレベルの高さがうかがえます。

その他気になったところをメモしておくと

「ワイン」という言葉に対する違和感。それだけなら、卓上に置かれて飲まれるのを待っているだけの酒のように思える。
これが「葡萄酒」ならば、白ならば、その黄金色の向こうに夕陽を照らす地中海が見え、赤ならば、血に染まる海戦直後の海を幻想することもできる。

オデュッセイアの真実
この話は、一仕事終えた男が、ハシゴ酒に徹しすぎた恐妻型亭主の苦肉の策の物語、としてとらえることができる。快楽的な地中海世界で、部下たちは他の女性をつくってしまい、そこで楽しんで帰りたがらない。そのためオデュッセイアは一つ目大男に殺されたなどの話をつくって上手くフォローしてあげる。本人はやはり一国の領主である故、最終的には帰るが、本国でもいきなり正体を現さず、じわじわと妻に出会うように仕向けているなど、やはり切実な夫の気持ちを感じさせる。

フィレンツエでの最初の住まいは、まずコスタ・サン・ジョルジョという坂に面したボボリ公園を借景できる環境だった。(ただ、この坂道からは、公園は見えない。)
その後結婚を機に、新たな家を探した。しかし屋上にちょっとしたビーチパラソルのようなものを置くと、「文化財保護委員会」から文句が出てくる。また、内部の見取り図においてもその委員会から文句をいわれた。

十字軍と、プロテスタンティズムや反動宗教改革の運動の合間に生まれた「聖地巡礼」。
それをグループにまとめて組織的に送り出す方法を考えた。そして聖地巡礼は、完全な営利事業に換わる。
いかがわしい聖遺物などを無邪気に信仰した人々の方が、高尚な精神主義者であるために人を殺しても恥じない者よりも、よほど好ましく映る。

(画像は文庫版の表紙です)