ヨーロッパの四季

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ヨーロッパの四季 機Ν
饗庭孝男 文と写真
東京書籍

イタリアはスポレートの街で見かけた、古代的な俤をもつサン・ピエトロ教会。このように、イタリアなど、ヨーロッパの南の方では、古代ローマの建物からの転用が目につく。
(フランスのゴシック大聖堂に見慣れた自分の目からすると、最初ローマで見た教会の外観が、どこか仮の姿にしか見えなかった。フランスのそれらが最初からカソリックのために造られたのに対し、ローマのそれらは、それこそキリスト以前の建物を利用していた例が多かった。)

スイスのモントルー近くのシオンの城。ここの牢獄には、ジュネーヴのサン・ヴィクトール修道院長であったフランソワ・ボニヴァールが、宗教改革に伴い、放り込まれた。
宗教心というものは決して相対主義的に働かない。愛は怒りと憎しみに変わり、理性よりも情念が支配する、という時代もあった。

パリから西ヨーロッパを横切り、ウィーン西駅に入ると、半ばスラヴ圏内に入ったという印象を与える。またあちこちのロシア正教風の教会様式を眺めていると、他方でビザンチン圏に入ったとも感じられる。また一方、北からウィーンに入ると、スラブ圏から、西ヨーロッパに帰ってきたという感が強い。
ウィーンという街の、複合的な性格。

かつてフランス人は、ピレネーを越えるとアフリカだ、と言っていた。ライン河の向こうはゲルマン、アルプスの彼方の陽気で軽薄なイタリア、そしてドーヴァーを越えたアングロ・サクソン
その排除の結果、フランスがヨーロッパだという結論。
(今のEUの時代ではどうなのだろうか)