アーティストたちとの秋⑨ ロシアの芸術家事情を思う

 それにしても、今回、ロシア出身の方が何人かおられたが、皆さん今は別の国に住んでいる。どのような理由かはよくわからない。単なる偶然かもしれない。しかし小さい頃、結構ロシアの激動期と重なり、アーティストとしてもいろいろ苦労があったのかもしれない。そのような詳細を聞いてみたい気もしたが、話が難しくなり、過去のさまざまな雑事を掘り返すような気がするので止めておいた。
 亡くなられた米原万里さんの本を読んだときに、旧ソ連から亡命したアーティスト(バレリーナだったか?)が、西側に行けたこと自体はよかったが、旧ソ連で受けていたような、芸術家に対する人々の熱い思いが、西側諸国では無いことを嘆いていた、と書いていた。ロシアとなり、更に資本主義社会となり、ロシア人の芸術に対する熱い思い、また芸術家の社会的地位はどうなっているのだろうか。少し気になることではある。

 ホテルに到着し、出発時間を確認し、ぼくか他のスタッフがまた会場までついていきますと告げ、ニジンスキーさんは自室に、ぼくはホテルのロビーで、別のスタッフと一緒に待機する。その内専属のスタッフもこちらに戻ってくる。
 いろいろ話しながら、2時間ほど時間をつぶす。そのうち、専属スタッフの携帯にコンサートリーダーの方から電話が入り、ニジンスキーさんを予定時間より早く、リハーサル場所まで連れてきてほしいとのこと。ニジンスキーさんには直接連絡しているとのこと。すぐにエレベーターの前に行き、氏が降りてくるのを待つ。
 まもなくニジンスキーさんは降りてこられ、一緒にタクシーに乗る。運転手さんにリハーサル場所の名前を告げるが、最初はまったく別の場所と誤解しており、補足説明してわかってもらう。やはり付き添いがあったほうが無難だ。
 帰宅ラッシュの時間にも重なり、通常より少し時間がかかる。ニジンスキーさんは途中通りかかったボクシングジムを見て、「ボクシング」とぽつんとつぶやく。イングランドに有名なボクサーはいたかな、と思ったが、まったく思いつかない。サッカー選手なら思いつくが、氏のイメージには結びつかず、特に口を開かなかった。