ハンニバル アルプス越えの謎を解く

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ハンニバル
アルプス越えの謎を解く
ジョン・プレヴァス 著
村上温夫 訳
白水社
2000年10月10日発行

カルタゴとローマの戦い、いわゆるポエニ戦役について叙述しているが、その中でのハンニバル将軍に率いられた、アルプス越えを中心に、そのルートを探索している。
古代の文献にそって、著者自ら(奥さんと一緒に)イタリアとフランスの間のアルプスの峰を踏破し、最もよく当てはまる場所を探し出した。
その結果、従来よく言われているグルノーブルなどのイゼール川沿いよりも、少し南のドローム川沿いを行軍したのではないか、というのが著者の主張となった。
このルートの方が困難な道だが、待ち伏せにあって攻撃された谷や、休息の場所とした高原、そしてはるかイタリアの平原が見える場所などもあり(ここでハンニバルは自軍に対し激励の演説をした)、ちゃんと地図や写真で紹介してくれていた。

この行軍自体、地中海の制海権を奪われたカルタゴが、イタリアに攻め入るため、やむなく選んだルートであった。
現在のスペインを、カルタゴの領土にし、そこからピレネーを越えてフランス南部のローヌ河を渡り、そしてイタリアへ達した。
カルタゴ自慢の象の部隊、そして傭兵も含めた荒くれ男たちの大群であるため、兵站も満足にできなかったようだ。
よって途中通った町では、その軍による強奪にあい、散々な目にあったようだ。本当に気の毒な話しである。
勿論、はっきりと抵抗する勢力もあり、中には部族の兄弟間の内紛まで巻き込まれた時もあった。
アルプスのルートで苦労したのも、味方と思っていた部族の現地ガイドのわなにはまったとの説もあるくらいである。

それでも多大な犠牲を払いながら、アルプス越えを果たし、イタリア領内で大暴れする。
ローマもパニックに陥るが、なぜかローマ自体には攻め込まれずに済み、イタリア領内でのハンニバル軍の動きに沿った、長期戦の構えをとる。
そしてスキピオの力もあり、ローマの勝利となった。

このアルプス越えは、その後のナポレオンにも影響を与え、彼も同じような激励の演説をものしたらしい。
白馬で颯爽とアルプス越えを果たす彼の絵が有名だが、実際は山岳に強いロバを使った辛いものだったらしい。
彼の失脚後そのリアルな絵が公開されているが、小柄なナポレオンがしんどそうな表情をしていたのが印象に残っている。