「愛の讃歌」の背景について

この拙ブログに一番多くコメントを頂いているMiyoko様のブログには、いつも訪問させていただき、パリの奥の深さをつくづく認識し、かつ感心しています。
その中でエディット・ピアフに触れた部分があり、コメントするにもうろ覚えだっため「そういえばピアフの記事があったっけな」とNHKラジオフランス語講座のテキストのバックナンバーを探し出しました。
2006年7月号の、加賀乙彦先生の「私とフランス語のお付き合い検廚任后
日本でも有名な「愛の賛歌」という曲の背景について説明されており、少なくとも自分にとっては、新しく興味深い内容だったので、紹介します。


エディット・ピアフは、自分の母親は知らず、娼家で働いている祖母に育てられた。そして15歳から路上で歌うようになった。
父親がころころ女を変えていたように、自分もころころ男をかえる、自堕落な生活だった。
そんな中出合った男、マルセル・セルダンだけは違っていた。
ボクサーの彼は、己の拳二つで、フランスチャンピオン、そしてヨーロッパチャンピオンとして成功する。
そして得た大金は、豪遊に使う代わりに、他人の世話を熱心にした。
例えば、盲目のカサブランカに住む友人を目の手術のため、彼をパリまで呼び寄せ、治療費をすべて負担してあげたりした。
そんな男の中の男と、ピアフは大恋愛に陥るが、セルダンの飛行機墜落により、それもあっけなく終わりを告げた。
その知らせを聞いた時、彼女はニューヨークにいた。その時のステージでは、彼女はこう客に告げた。
「今晩、私はマルセル・セルダンのために歌います。誰のためでもありません。彼のために歌います。」

そんな悲しみの中、自殺を考え、交霊術に逃げたり、麻薬モルヒネ中毒になったりした。
しかし、最悪の状況の中でも、表現の道は開いていた。
愛の讃歌」の作詞という、道が開いていたのだった。

この中では、愛というものを、祖国や友情より遥かに高いものにおいている。
これは有名な日本語訳では表現されてないが、原文の中にはちゃんと織り込まれている。
フランスがナチスドイツに蹂躙されて、パリ解放から5年ともたたない日に書かれたものであった。
その中に、彼女の強固な個人主義と全身全霊を恋人に捧げる愛の姿が見て取れるのである。