街道は続くよどこまでも(ローマ人の物語Ⅹより)

引き続きローマの街道について。
紀元前220年、ローマの歴史によく出てくる「フラミニア街道」の工事が始まる。
この街道は山中を通るので、工事の苦労も格別である。
橋を架け、山腹に土を盛り、トンネルまで造っている。
場所選択には、雪や増水の影響まで考えられている。

このような街道、現在の例えでは新幹線のような高速鉄道と考えればいいとのこと。
土地の起伏を無くし、堤防のように築いた街道となる。
なおかつ橋もその延長線上の高さとなる。

エジプト人はピラミッドを造り、ギリシャ人は美しい美術品を創った。
そしてローマ人は街道・上下水道を造った。
それは傑作だとギリシャ人までも賞賛している。
ローマ人によるインフラの社会に暮らし、美術館ではギリシャ人の作品を鑑賞し、時々エジプトまで行く余裕があれば幸せ、という感じだ。

ローマ街道の研究は1622年にパリで刊行された本が一里塚、とのこと。
その作者は、フランスの街ランスで弁護士をしていたのだが、ふとある日、自分が裁判所に通っている道が、ローマ時代の街道と気づいて以来、仕事も止め、研究に一生を捧げた。

それからいろいろな研究が進むが、街道の長さゆえ全貌を網羅した人はいなかった。
しかし、20世紀の半ば、ドイツ人を中心とする6人ほどのグループがジープを駆ってほとんどの街道を踏破する。
中には、中東戦争の勃発した年に、エジプトを駆け巡った時もあった。
そして1968年に、その成果をロンドンにて刊行する。
その名も「The roads that led to Rome」というものであった。