ローマ人の物語Ⅶ(ネロとローマ人歴史家について)

クラウディウスの後、16歳の若さにして、ネロが皇帝に就任する。
セネカという知識人の指導の元、元老院寄りの政策を打ち出す。
しかし、その後の元老院との関係悪化。
また、母親アグリッピーナとの葛藤。その後の母殺し。
アルメニアブリタニアでの戦い。
ギリシャに憧れたネロ。自分も歌手としてデビューを果たす。
太った姿の彼を見ると、ドラえもんジャイアンが歌っている所を思い出してしまう。
といっても、ジャイアンほどひどくはない。大衆にとってはある意味面白い出し物。
今は亡きエリツィンさんのことも思い出される。
ローマ大火。その後のローマの再建は評価されるが、一方でキリスト教徒に対する厳しい迫害。
そしてネロに対する反乱。
最後「これで一人の芸術家が死ぬ」との言葉を残したという説がある。
皇帝としての役割をほとんど演じる事ができなかった若者の悲劇。

最後この巻には、付記として、なぜ歴史家のタキトゥスやスヴェトニウスはローマ皇帝を悪く書いたのか
とあった。
結論として、反体制の人々が、新体制を提示できない場合、安易な批判に陥らざるを得ない、とのこと。
そして彼らの内容が大新聞の社説か、スキャンダル一杯の週刊誌のようなものであるとのこと。
社説はともかく、ゴシップは人類皆大好きである。
そして、地味な文章はなかなか長い歴史の中で生き残る事ができず、その一方ゴシップ的なものは残っていく。
歴史の英訳はhistory。そしてhistoryという単語には、単なる「お話」という意味が含まれているのが、つくづく正しい事だなあ、と感じてしまう。