ローマ人の物語 カエサル ルビコン以後

ユリウス・カエサル ルビコン以後
ローマ人の物語
塩野七生 著
1996年3月30日 発行

カエサルガリア戦線を勝ち残ったあと、ルビコン川を渡り、いわゆる内戦状態に入ったローマを描いた章。
ポンペイウスとの戦い。ここでもカエサルは天才的な力で勝利する。
そしてアレクサンドリアでのクレオパトラとの出会い。ひとときの安らぎの日々。
そしてトルコ地方やアフリカ北部での勝利の後、名誉ある凱旋式
彼の兵士たちは親しみをこめて、こう叫びながら行軍する。
「市民たちよ、女房を隠せ。禿の女たらしのお出ましだ!」

その後の内政の改革。共和政との戦い。カエサル自身好むか好まぬかに関わらず帝政への道。
それに危機を抱く人たち。
3月15日、カエサルを暗殺する。
カエサルの「寛容」がそのような結果に終わったのか。
その後の遺言状の公開。反カエサル派への不利な風は吹き続く。
そして戦いは若きカエサルの「後継者」オクタヴィアヌスアントニウスクレオパトラとなる。
アントニウスクレオパトラとの関係に溺れていき、ローマ市民の信も離れていき、戦いに敗れる。
ただ最後は愛するクレオパトラの腕の中で死んでいく事ができた。
「女への愛を貫き通すのも、男の生き方の一つである」という塩野先生の一節が重い。

その後オクタヴィアヌスは初代皇帝アウグストゥスとなって、カエサルの成し遂げる事が出来なかったことを達成していく。
独裁も、独裁者が素晴らしい人間であり、そしてずっと素晴らしい人間であり続けられれば、これほどわかりやすい政体もない。
しかし実際問題として、そのような例は限られているだろう。
その後2000年以上、数々の独裁者による悲劇。
この3月15日を「懐古主義者たちの自己陶酔がもたらした、無益どころか有害しかなかった悲劇」
とイタリアの高校の歴史の教科書は述べてるそうだ。
暗殺自体確かによくないと思うが、ただ、そう簡単に一刀両断にするのもどうかとも思う。