ロレンツォ・デ・メディチ(世界を創った人びと)

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世界を創った人びと 10
ロレンツォ・デ・メディチ
1979年1月10日 初版第1刷発行
編訳者 清水廣一郎
平凡社

前述の「世界を創った人びと」より、まずはロレンツォ・デ・メディチを取り上げます。
彼は別名「イル・マニーフィコ」(偉大なる人)とまで呼ばれた人で、
フィレンツェが、ルネサンスの魂であった時代の、フィレンツェの魂であった」と呼ばれるくらいの人だった。
自分にとっては以前、メディチ家の歴史のマンガや、塩野先生の「我が友マキアヴェッリ」により、魅力的な姿をある程度勉強していた。
顔は写真のように、少し癖がある。「我が友マキアヴェッリ」の中でも、マキアヴェッリがふざけた手紙の中で書いている、全てが醜い売春婦の唇を、「ロレンツォの口そのものだ」と表現してる。
しかしそれを補って余りある、能力と魅力と運が彼には備わっていた。
華やかなメディチ家に生まれ、暗殺の危機に遭うも、無事助かる。
ちなみに、その時の首謀者のしばり首の素描も何点か載っていたが、やはりダヴィンチの描いたそれが一番迫力がある。
その後のペストと戦争の襲来。「明日に定めなき」世の中。
そんな中、勇躍ナポリを訪問し、ナポリの王フェランテと教皇の結びつきを切り離し、フィレンツェを救済する。
「慎重」の女神により冠を授けられるロレンツォの姿を描いた絵画。
蛮勇と見られかねない裏には慎重な根回しをほどこしていた。

その後栄光を謳歌する一方、
晩年はメディチ家の持病である通風に苦しむ。
修道士サヴォナローラが宗教的熱狂の下、フィレンツェを支配していく中、1492年、ちょうどコロンブスの新大陸発見の年、ロレンツォは亡くなる。
そしてまもなく、メディチ家フィレンツェ支配の(一時的な)終焉となるのであった。

(前回この全集の人選について疑問を呈していましたが、よく読むと1968年にミラノの出版社が著したものを、平凡社で編訳という形にしていました。よって、正確な見方は「40年前のミラノから見た世界を創った人びと」というのが正しいかもしれません」)