ぼくはサイード①

ぼくはサイード
パリ生れのパリ育ち
といっても、「花の都」なんていうイメージとは全然違う、北の方の、地区。
ぼくのようなアラブ系や、アフリカ系が多く住む地域。
ぼくのおじいちゃんは、北アフリカからフランスに来て、ごみ掃除など白人がやりたがらない仕事でこつこつ金を貯めた。
そしてぼくの親父は、その金を資金にして小さな食料品店を立ち上げ、家族を養ってくれた。
移民の暮らしは相変らずよくない。
就職なんかでも、アラブ系の名前というだけで差別される。
ぼくの周りには、サルコジの野郎が言うところの「ごろつき」がいっぱいいる。
親の汚れ仕事を引き継ぐより、ぶらぶらしていたり、もっとひどい奴だと、麻薬の密売人になってるような奴もいる。
ぼくも一歩間違えればそうなっていたかもしれない。
でも、それを救ったのは芸術的な才能。
親父によると、ひいおじいちゃんは有名な工芸職人だったらしい。
隔世遺伝で、その才能がぼくの所に来たようだ。
学校でも、他の教科は全然だけだったけど、美術の時間だけは、先生はいつもぼくの作品をうっとりと見つめてくれた。
おかげで奨学金をたくさんもらい、上級の美術学校へ行く道を開いてくれた。
今ではそこでわけのわからないオブジェの制作に没頭する日々。
さすが文化の国フランス。こんなことが十分できるようなシステムを作ってくれている。
まあ、カエサルの時代から、戦争に負け続けたフランスのことだから、文化を伸ばすしかしょうがなかったらしい。
それはそれで結構な事。
おかげでぼくなんかものうのう生きていける。
たとえナポレオンがたまたま勝っても、後に残るは死体のみ。