万里さんの夢見た青空

米原万里

先生の書かれた本、今までたいへん楽しく読ませていただきました。
「ロシアは今日も荒れ模様」などのエッセイ集では、先生のロシア語通訳としての貴重な体験から、エリツィンなどの有名人のエピソードから、混乱時のさまざまな珍しい出来事まで、楽しい話がつきなかったです。
そんな中、自分にとって一番印象に残っている本は「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」です。
先生が過ごされたプラハでの日々。
あの美しいプラハの街。自分は21世紀初頭の姿しか知りません。
先生が過ごされた頃は社会主義の時代で、今よりもすすけた感じで、暗っぽかったのではないかと想像できます。
でもそれはセピア色の絵葉書のように、今よりもかえって、もっともっと美しかったのではないでしょうか。
古都プラハでの、様々な学友との出会い。
いろいろ大変そうだなと思う一方、羨望の念を禁じえなかったのも事実です。
日本帰国による学友との別れ。次第に音信不通になっていきました。
そして東欧を襲う大混乱。
そんな中、先生は旧友を探しに行かれました。
見た事もないギリシャの青空を夢見たリッツア。エッチな話もよくした彼女。夢は破れたものの、プラハでも、ギリシャでもない異国の地で、苦労の末みんなに信頼される存在になっていました。
アーニャはすっかり変わってしまいました。でも彼女を責める事は出来ません。大混乱の中で生き抜いてくために、そうなってしまう人がどれだけいることか。
そしてベオグラードはなぜ「白い都」かと、夢見るような美しい言葉で教えてくれたヤスミンカ。
過去のベオグラードがそうであったように、今回もそこが悲劇の中心地になってしまいました。必死で彼女の消息を探す先生の姿。
先生のお力により、本来自分にとって遠かった人たちが、革命や戦争の混乱の中、いろいろなものを背負い込みながら、一生懸命生きぬいていく姿をたいへん身近に感じることができました。
今となっては、このような作品を残してくださった先生に、「ありがとうございました」という気持ちしかありません。
安らかにお眠りください。