マルセイユ 聖なる丘より(ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院)

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マルセイユ旧港沿いを抜け、ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院を目指す。
途中、真っ直ぐで、坂道になっている大通りを登っていく。両側に建物はあるものの、まだ朝で、人通りも少ない事もあり、がらんとした、妙な雰囲気だった。
寺院のふもとにたどりつく。工事中の鐘楼の上に、幼子キリストを抱いた聖母マリア像が、金色に輝いていた。
南仏のマリア信仰が強さを感じる。同じく南仏オランジュの古代劇場裏の丘に立ち、街をみつめる巨大なマリア像を思い出す。
この寺院のあるところには、1214年に初めてチャペルが作られた。そして1524年には、フランソワ1世により城塞が築かれたとのこと。
そして現在の様式の建物は、19世紀中ごろに完成した。
確かに街や海を見渡せ、要衝として、そして心のよりどころとして、重要だったと思われる。
更に港町であるゆえ、街中だけでなく、海上の船からの眺望も重要だった。
いくら屈強な海の男といえ、「船底の下は地獄」であったため、こころのよりどころが必要だった。
出航の時は安全を祈願し、帰港のときは無事を感謝する。
実際寺院の内部には、碇など、船に関する奉納物がたくさんあった。

寺院のテラスからは通ってきた旧港周辺、行きたかったイフ島など、朝日に照らされる海と街が見えた。
また、普通の集合住宅の合間にあるサッカーのグラウンドが見える。
ここでサッカーの朝練をする子供たちがいたような気がするが、ただの幻だったかもしれない。
というのも、マルセイユといえば、かのジダンを思い出してしまうからだ。
今では、サッカー界にとどまらず、フランスそれ自体の象徴ともいえる存在である。
明日のジダンを夢見る子供たちの歓声が集合住宅に反映し、海まで、そしてこの聖なる丘の上に届く。
それが自分にとっての理想のマルセイユになるかもしれない。