
各国史がわかるシリーズ
歴史が見えるフィンランド図鑑
石野裕子 編著
町田季句 絵
エクスナレッジ 発行
2025年12月25日 初版第1刷発行
本書は建物等を入口として、フィンランドの歴史や文化、社会をたどっていこうという趣旨のもとに編纂されました、とのことです。
フィンランドについて深く詳しく書かれていますが、イラストが多いおかげで、親しみやすい本に仕上がっています。
フィンランドってどんな国?
共和制、一院制議会(200議席)
1995年1月に EU に加盟し、2023年4月には NATOに加盟している。
北欧で唯一、ユーロ通貨を導入している国でもある。
01 先史時代のフィンランド
02 スウェーデン統治時代のフィンランド
スウェーデンは徐々にフィンランドに勢力を広げ、14世紀には現在の南西フィンランドが正式にスウェーデンの統治下に入った。しかし、東のノヴゴロド(ロシア)との戦いは続いた。
オーボ(トゥルク)はフィンランドで初めて設置された都市である。1280年から1300年の間に設置されたとされる。以来、オーボはフィンランドにおいて文化、社会、政治、経済といったあらゆる分野の中心地として発展していった。
貴重な商品であった毛皮を産出するノヴゴロドとの交易の中継地として、フィンランド湾の南岸にあるハンザ都市タリン(現エストニアの首都)の重要性が高まっており、ラーセポリ城は、タリンに対抗する港町としての役割を期待されて、その対岸に築かれたと考えられている。
長きにわたるスウェーデン統治時代の影響で、独立以降のフィンランドでも、フィンランド語と共にスウェーデン語が公用語となったが、現在スウェーデン語を母語とする人口は5%ほどである。
なお、スウェーデン語は英語やドイツ語と同じインド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属するのに対し、フィンランド語はウラル語族のフィン・ウゴル語派に属するため、両言語は全く異なる。
03 ロシア帝国統治時代のフィンランド
1809年にロシア統治下の「大公国」となったフィンランドは、スウェーデン統治時代の「遺産」をもとに発展していった。1850年代以降の「自由化の時代」、 1880年代からの「ロシア化の時代」を経て、フィンランドは独立に向かう。
フィンランドではスウェーデン語が公用語として機能し、ロシア語の強制は20世紀前半までなされなかった。長いスウェーデン統治の影響で、ほとんどの知識人がスウェーデン語を母語とした。しかし、大多数が話していたフィンランド語をフィンランド人のアイデンティティにしようとする動きがスウェーデン語系フィンランド人側から起こり、フィンランド語を中心としたナショナリズム運動「フェンノマニア」が登場した。
1863年に言語令が制定され、20年の猶予期間が設けられたが、フィンランド語をスウェーデン語と同等の地位にすることが決定された。
1812年にトゥルク(オーボ)からヘルシンキへの首都移転が決まった。
2つの文学協会
・ 民衆の言語文化を伝えるフィンランド文学協会
・ スウェーデン語文化を守るフィンランド・スウェーデン文学協会
フィンランド大公国はロシア統治下にあったが、建てられた教会はロシアと結びつきのあるロシア正教会ではなく、スウェーデン時代の名残ともいえるルーテル派教会であった。ロシア皇帝アレクサンドル1世は聖職者を一般の人々との仲介役として評価し、説教を通して皇帝への忠誠心を植え付ける場として教会を利用していた。ロシア統治下にあっても ルーテル派教会の継続を保証する一方で、ロシアが教会や聖職者を監督し、支配する力を強めることにより、スウェーデンとフィンランドの教会運営を引き離そうとしていたのである。
フィンランド湾とサイマー湖を結ぶサイマー運河は、フィンランドがロシア統治下にあった1856年に開通した。
2012年に新たに50年間の貸与の協定が両国間で締結された。
現在フィンランド正教会の信徒数はフィンランド人口の1%にすぎないが、ヘルシンキ教区にはその約1/3である2万人が所属し、ウスペンスキー寺院はフィンランド正教会の最も重要な教会となっている。
ヘルシンキには、実に600ものアール・ヌーヴォ様式の建築が現存している。
フィンランドではドイツ語の「若いスタイル」が由来の「ユーゲント様式」と呼ばれている。
シベリウスは生涯の大半をアイノラで過ごしたが、戦争の影響を受けながら、アイノラとヘルシンキを行き来する生活を送った。
テンペレのレーニン博物館
1946年開館で2024年閉館
2025年2月15日、ロシア(ソ連)との関係者に焦点を当てた新しい博物館ノーッティが開館した。
この場所で1905年12月にスターリンがレーニンと初めて会った。
フィンランド国立博物館
天井を彩る『カレワラ』のフレスコ画
絵画『攻撃』(エートゥ・イスト作、1889年) 擬人化された白いドレスの乙女(フィンランド) が双頭のワシ(ロシア)から法令全書(自治)を奪われないように守る姿は、「ロシア化」政策に反発する絵画として知られる。
(白いドレスの乙女が、ノキアを奪われないように守っているパロディのマンガの展示を見た思い出があります)
04 独立~大戦期のフィンランド
第一次世界大戦の混乱の中、フィンランドは1917年末に独立を果たしたが、翌1918年に国を二分する内戦が勃発する。内戦後、独立国家としての道を歩むが、第二次世界大戦でソ連と対峙せざるを得ない状況に追い込まれる。
05 近現代のフィンランド
第二次世界対戦中、ソ連との間に勃発した2度の戦争に敗北したフィンランドは、国土を奪われるなど大きな代償を払うことになる。 フィンランドは国土の1/10を失った。
戦後、フィンランドは1948年4月にソ連と締結した友好・協力・相互援助条約をもとに親ソ友好路線を取りつつも、東側陣営に取り込まれずに中立を保とうとした。
1991年12月のソ連崩壊はフィンランド経済に大打撃を与えた。同年11月から金融危機が発生し、フィンランドは不況に陥った。
1952年7月から第15回夏季オリンピックがヘルシンキのスタジアムで開催された。
スタジアムアムはシンプルで機能的なデザインで知られている。2016年~2020年にかけてなされたスタジアムの大規模な改修に対しては、いくつもの建築賞を受賞した。
スタジアムに付属している高さ72mのタワーは観光名所である。
(このタワーの上に登りました)
現在フィンランドにタバコ工場はない。フィンランドでは多くのヨーロッパ諸国と同様、建物内での喫煙が禁止されているため、寒空の下、タバコを吸う愛煙家の姿が街角でしばしば見られる。
フィンランドは1919年から1932年まで禁酒法が施行された。一方、酒の密輸や密造は後を絶たず、警察や海上警備隊はその摘発に追われた。レストランやホテルは、常連客に極秘に酒の提供を行ったという。
1943年には販売証明書制度が導入された。この証明書がないと酒を購入することができず、購入回数を制限する機能も備えていた。この証明書は1970 年末まで使用された。