戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ

戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ 表紙

戦後日本のジャズ文化

映画・文学・アングラ

マイク・モラスキー 著

青土社 発行

2005年7月25日 第1刷発行

 

第1章 自由・平等・スイング? 終戦前後の日米ジャズ再考

デューク・エリントン

デュークは「君主」や「大公」の意味

カウント・ベーシー

カウントは「伯爵」の意味

 

ビバップのイメージを要約すれば、こまめに編曲された、大きな集団による<大衆向け>のスウィングに対し、ソロの即興プレーを中心の、5、6人編成のグループによる難解な<通向け>の芸術音楽である、ということになろう。

 

第2章 大衆文化としてのジャズ 戦後映画に響くもの

黒澤明の『酔いどれ天使』

黒澤映画の中でいわゆる「ジャズ」を初めて使った映画であり、当時の「ブギウギ女王」と呼ばれていた笠置シヅ子が登場し、服部良一作曲の「ジャングルブギ」を歌う場面がクローズアップされている。

「ジャングル・ブギ」の歌詞(といっても、擬声語や感嘆詞のような表現がやたら多い) を書いたのは他ならぬ黒澤明であることだ。

 

石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』

戦後日本におけるジャズ状況の変遷も、一般人のジャズに対する認識も垣間見ることができる。

 

第3章 占領文学としてのジャズ小説 五木寛之の初期作品を中心に

ジャズ小説からスタートした作家としては、当時の五木寛之は意外にジャズに深入りしていなかったといえよう。

五木寛之の初期ジャズ小説群を精読すればするほど、作品及び著者自身の「矛盾」と言うべきか、「複雑さ」と言うべきか、とにかく意外な「多重性」がより明瞭に表れてくる。一見、単に軽快な作品群に思われがちだが、それほど単純な文学世界ではないことに気づくようになる。

 

第4章 挑発するジャズ・観念としてのジャズ  1960~70年代ジャズ文化論(1)

日本でジャズが「60年代の音楽」であるというイメージに貢献した一つの要因は、麻薬との密接な関係だろう。

 

フランスのヌーヴェル・ヴァーグ映画が、1960年前後に日本の文化人の間で モダン・ジャズに対する認識の基盤を築くのに大きな役割を果たした、と言って過言ではなかろう。

 

一種の左翼インテリ・ファンや評論家たちは、コルトレーンの(特に60年代半ばの)熱烈な音楽を、「黒人の怒りの表現」などとみなす傾向があったが、コルトレーン自身の発言から判断すると、これは多少思い込みによるものだと言わなければならない。コルトレーン自身は、政治やイデオロギーなどについてほとんど言及しなかったし、彼に親しかった人たちによると、コルトレーンはめったに怒ったりしない大変温厚な人柄だったそうである。むしろコルトレーンにとって(特に1964年以降)、自らの音楽的探求は深い宗教性に基づいていたようである。

 

日本では60年代にもっと広い意味で<ジャズの内在的革命性>を理論化し提唱する異色の書き手がふたり現れた。相倉久人と平岡正明である。

 

相倉とのインタビューでは、山下洋輔などの若手ミュージシャンに対して、自分は一種の師匠だったという認識が強いように思えた。とにかく山下などを、ある程度指導してきた、という「師匠」的認識は私には意外であった。なぜなら、アメリカでは楽器が弾けない評論家がミュージシャンに音楽について「教える」という関係は、評論家自身もミュージシャンも想像しにくい関係だからである。むしろ、通常ミュージシャンたちは、評論家と距離をおきたがり、蔑視する場合も多いといえる。ところが、2005年に山下氏自身に直接に会う機会があったので、「相倉さんとはどういう関係でしたか」と尋ねてみた。そして、彼はためらいなく「相倉さんは私の師匠のようなものでした」と答えたのである。つまり、この点に関して、両者の認識が一致していたわけである。

 

思想とは関係ない個人生活においても、相倉と平岡は、いささか意外な共通点が一つある。 2人とも酒を一滴も飲まないのだ。

 

当時の読者は、平岡のジャズ論にどのように反応しただろうか。おそらく、著者の博識ぶり(出版当時、平岡はまだ26歳だった)に感心し、読み続けた読者もいれば、大雑把な抽象論として読むに耐えられず、不満のあげく本を投げ出してしまった読者もいたことは想像できよう。

平岡のエッセイは、時には重苦しくてくどい、時には軽快で爆笑を誘う、そしてたまには感嘆させられるような発想を、見事に創造的なフレーズで表現することもある。

 

相倉と平岡の様々なエッセイを読むと、著者自身がいかにも男性的だという間接的な表現による誇張と、読者は当然男性であるという先入観が繰り返し頭に浮かぶことは、共通の問題として見逃してはいけないと思う。

 

第5章 ジャズ喫茶解剖学 儀式とフェティッシュの特異空間

オーストリア人の日本研究者であるエクハート・デルシュミットの戦後ジャズ喫茶論

1950年代 学校

1960年代 寺

1970年代 スーパー

1980年代 博物館

 

第6章 破壊から創造への模索 1960年~70年代ジャズ文化論(2)

北野(ビート)たけしは60年代にジャズ喫茶でアルバイトをしていたことがあるという。(それこそ、「ビート」という名前自体がジャズを連想させるではないか。)

 

「 革命や政治の波があの時代を突き動かしていたとは絶対に思わない」 というくだりと、「 言ってみればただ騒げばいいって感じ」 という告白こそ、中上健次のジャズに関するレトリックを理解するための鍵であると思う。

 

永山則夫を扱った『略称・連続射殺魔』

永山則夫のイメージを表現するだけだから、それなら誰に頼むのが最善かとまたどんどん論議して、平岡は、俺がやるなんて言い出した。楽器は何を使うのかと聞くと、楽器なんてスタジオにゴロゴロあるじゃないか、全部使ってやる、と主張する。最後に、お前やったことないだろう、 どういう音が出るかわからんだろうと皮肉ったら、お前の話聞いたら、どんな音だっていいと思えるし、それなら俺がやるのがベストに決まってる、と自信たっぷりなんだ。私が、さらに難しい映画になりそうだから、要らない、と言うと、平岡は怒って姿を消した。

 

若松孝二の『十三人連続暴行魔』でアルト・サックスを吹く阿部薫

 

第7章 過去の音楽へ 近年のメディアとジャズ文化

世界中の小説家の中で、村上春樹ほどのジャズ・レコードのコレクターはほとんどいないだろう。村上の英訳者の一人ジェイ・ルービンによると、そのコレクションは6000枚を上回るという。春樹はクラシックもロックもポップスも聴く大変な音楽好きとして知られているが、ジャズのレコードに関しては特に詳しい。