第二部 万年の国語愛
第八章 日本語改良への第一歩
それまでの写本の段階では方言などの影響で揺れていた表記が、印刷によって一定のものへと次第に固定化されていく。
およそ印刷は、カクストンの出版印刷所がロンドンに置かれたのと同じように、中国や我が国でも首都や副都に発達した。中央の言葉が印刷によって広がっていけば、方言を消していく役割を果たすことにもなる。
印刷というメディアの発達は、言語の自然な変化を推進したものと言えるであろう。
第九章 国語会議
明治33年は、万年にとって「仮名遣いの革新」という意味では非常に実りある年でもあった。
帝国教育会国字改良部仮名調査部の会議などを経て、8月、文部省は小学校令において、
「読書作文習字を国語の一科にまとめ、仮名字体・字音仮名遣いを定め、尋常小学校に使用すべき漢字を1200字に制限」し、
「仮名遣いの一定として変体仮名を廃止し、字音仮名遣いを改正する(表音式に改め、長音符号を採用する)こと」を決定した。
「小人」を「ショージン」、「道理」を「ドーリ」と表記する
棒引き字音仮名遣い(略して「棒引き仮名遣い」とも)」と呼ばれる新しい表記スタイルである。
第一〇章 文人たちの大論争
「Goethe(ゲーテ)」も鷗外は「ギヨエテ」と書く。
これを笑った人がある。
万年と親しかった斎藤緑雨である。
「ギヨエテはおれのことかとゲーテ云い」と言って鷗外を揶揄するのである。
第一一章 言文一致への道
万年は明治33(1900)年に「言文一致会」を作っている。
日本語の辞書を作るのに、初めて言葉を「アイウエオ」順に並べたのは、大槻文彦の『言海』であった。
なぜ「アイウエオ」順で日本語を並べる必要があるのだろうか。
万年は言う。
「後日に至って文典を教えるのでも、二段の働きとか四段の働きとか、こういうことを教えるにも、直ぐ必要が起こるのである」
五十音図は、平安時代後期にまとめられたものであるが、実にうまく作られている。
例えば、日本語の動詞は終止形が必ず「う」段で終わる。
動詞の活用などを示す場合などにも、五十音図はうまく利用できるのである。
明治33(1900)年の新聞『日本』の「漢文科廃止の賛否両意見」
廃止反対
・外国語と権衡を得せむべし
・日清両国の交際上に必要あり
・幼児の教育と関係あり
・漢文は得育の思想を加味する
廃止賛成
・漢学者は教授法を心得居らざる
・漢学者は普通の智識なく、妄りに吹き込む弊あるにより、生徒は往々六つかしき漢文を以て他の教師いじめの道具となす
・教授法に通じ、普通の智識ある漢文の教師は容易に得ベからず
第一二章 教科書国定の困難
第一三章 徴兵と日本語
「全国統一話し言葉が無くては、兵隊は突撃ひとつ出来ん」
第一四章 緑雨の死と漱石の新しい文学
司馬遼太郎の愛読者は、明治という時代を、それまでの暗く閉ざされた江戸の封建制国家を、一朝にして合理的で近代的国家に作り替えた明るい時代とする、いわゆる「司馬史観」に従って「明治」を好んでみるかもしれない。
これに対して池波正太郎や藤沢周平など江戸の人情を厚く描いた小説が好きな人は、「明治」をケバケバしく軽薄な時代と見るかもしれない。得てして、江戸が好きだという人は明治のものを好まないという傾向がある。
しかし 明治をよしとした司馬遼太郎も、よく見ていると、どうやら明治の初期あるいは前期までのことに対しては以上に好意的であるが、日露戦争以降第二次世界大戦に至るまでの国家主義に対しては非常に否定的である。ここには、明治も前半は明るく、後半は暗いというイメージがある。
第一五章 万年万歳 万年消沈
臨時仮名遣調査委員会で、鷗外が歴史的仮名遣いを主張した。その鷗外を会議の席でうまく踊らせたのは、岡田良平(1864〜1934)という男であった。
「棒引き仮名遣い」など、万年などが主張する発音本位の仮名遣いに真っ向から反対する鷗外の主張とはどういうものなのか。
・仮名遣いの改定は、国語表記の伝統を乱すものである
・発音通りに表記をすることは実際上不可能なことである
・それを無理して行えば、表現を乱雑にし、かえって混乱を招くことになる
・発音は変化するもの、表記は固定的である。この両者の異なりをどちらかで確定しまうことはそもそも不可能なことである
・文字や言語は自然の推移に任せるべきであり、法令などでこれを統一することは行うべきではない
明治38年の言文一致の新仮名遣い改定は、明治41年に頓挫した。
第一六章 唱歌の誕生
「教えとしての歌」が広く教会という場所を通して歌われるようになるのは、宗教改革によってプロテスタントの人たちが賛美歌を歌うようになったからであった。
そしてその賛美歌がメーソン(1818〜1896)によって日本に根付く「教えである唱歌」として学校で歌われる歌に転換されたのであった。
第一七章 万年のその後
万年の娘・文子は円地文子として1960年以降になって評価されることになる。
昭和21年、当用漢字並びに新仮名遣いの告示がなされる。
昭和53年に新潮社から出された『円地文子全集』の第一巻解題には、次のように記される。
「本全集の表記は、著者の意向により、底本の如何にかかわらず、全巻にわたってすべて新字体・現代かなづかいの表記法を採用する」
「すべてを新仮名遣いで統一する」というのだ。これは父・万年に対する思いだったのではないだろうか。