マルセイユのユニテ・ダビタシオン ル・コルビュジエ著

マルセイユのユニテ・ダビタシオン 表紙

マルセイユのユニテ・ダビタシオン

ル・コルビュジエ 著

山名善之 戸田穣 訳

筑摩書房 発行

ちくま学芸文庫

2010年2月10日 第1刷発行

 

第1章 罵りの声

1950年2月の竣工時、セーヌ県医師会会長を務める精神科医は、このような建物は、その騒音のために精神病の発症を助長するものだと主張した。そして彼が言うには、マルセイユの市民はこの計画に「気狂い館(メゾン・デュ・ファダ)」という洗礼名を与えたのだ。

 

第2章 高みに立って

標準化という語は、ある意味では、良識(ボン・サンス)に働かせるということを意味する。良識とは、常識(サンス・コマン)とは異なる。住まいの場合に、あらゆる局面でイニシアティヴをとり、解決を強いるのはアパートメントの売り手と借り手であって、これは常識にあたる。良識となるのは、改革者でなければならない。

 

住まいに関して、最優先となる問題、そのものずばりの根本的な問題、それは「水平のシテ・ジャルダン(田園都市)」と「鉛直のシテ・ジャルダン」という対立する2つのテーゼの支持者を考慮すること。

 

第3章 一枚のヨーロッパ地図から―人間の住まいを経て技術と社会の総覧へ

 

第4章 長い道のり1907―1950 そして明日への行動指針

 

第5章 マルセイユの「ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオン」の体系的記述―アンドレ・ヴォジャンスキー

建物の最も本質的な特徴の一つは、ピロティの上に載っていることである。つまり全ての構造体が巨大なコンクリートの柱の上に載っているので、柱の間の地面は自由なまま残されている。

この工夫は交通面で多くの利点を持っている。歩行者専用道路あるいは車道も建物の下を潜っていくことができる。ピロティの利点は、土地の占有をほぼほとんどゼロにするような実際的理由だけではない。ピロティは地上からの視点で、大地の全体を見渡すことを可能にする。ル・コルビュジエの表現に従えば「歩行者の視線が住宅の下を通る」。太陽と光が住宅の下を抜ける。この原理が都市へと全面展開されれば、都市のあらゆる 表面は巨大な公園となるだろう。

 

訳者解説 山名善之

ル・コルビュジエは、都市の新しいかたちとして「ユルバニスム(都市計画)」を、著作とプロジェクトを通して提案した。

 

19世紀以来、今日に至るまで、フランスでは社会主義思想に基づく一般大衆、つまり労働者のための集合住宅(シテ・ウブリエル)が数多くつくられてきた。

 

規格量産住宅「メゾン・ドミノ」

ヴォールト状の屋根が特徴的な新しい住宅のための工法システム「メゾン・モノル」

 

新しい精神状態を構想すること。大量生産によって生み出される「完全美」と「純粋美」

これをパリに出てル・コルビュジエと名乗り出す前後に思い描いていた。

 

ドイツ軍のパリ侵攻を受け、1940年6月11日にル・コルビュジエはパリ・セーブル街42番地のアトリエを閉鎖し、ピレネー地方のオゾンに疎開する。さらに1941年初頭、ル・コルビュジエは、ナチスの傀儡政権であるヴィシー政権に近づくため、ヴィシーに居を移す。ヴィシー政府を中心に戦後の復興が進められるだろうと信じていた頃のことである。

 

ル・コルビュジエの国際的活動を語る上で、忘れてはならないのが、

モダン・ムーブメントの国際的な枠組みをつくったCIAM(近代建築国際会議)で、

このCIAMのフランス・グループとして活動し続けたのがASCORAL(建築革新のための建設者協会)

 

ユニテ・ダビタシオンの実現化が近づくにつれ、もう一つの重要な理論が、ル・コルビュジエの中で結実しつつあった。それが、人体寸法を基準とした体系「モデュロール」である。

 

1945年7月20日夏、初代復興・都市計画大臣となったラウル・ドートリによって、ついにユニテ・ダビタシオンの設計が依頼される。

終戦直後、マルセイユはドートリと政治的に敵対関係であった共産党が議会で勢力を持っており、ドートリとマルセイユ議会の対立も加わり、ユニテ・ダビタシオン建設に対して様々な摩擦が生じる。4回もの敷地の見直しはそれを象徴したものである。

 

ユニテ・ダビタシオンの姿はなぜか我々日本人にとっても既視感があり、そればかりでなくどことなく懐かしさを感じさせる。それは、我が国のどこにでも建っている郊外の「団地」とその姿が重なるからだけではなく、昭和の時代に存在していた団地コミュニティをも、このユニテ・ダビタシオンから読み取ることができるからだろう。

 

訳者あとがき

ル・コルビュジエのフランス語は一般に独特の言い回し、くせが強く訳出しづらいこともあって、翻訳も読みやすいと言えるものが少ないなか、この丸善版の坂倉訳はル・コルビュジエの翻訳本の中でも翻訳の深さの点において一級のものであると言えよう。