漢字が日本語をほろぼす(後半)

第三章 漢字についての文明論的考察

漢字文化圏亀井孝が言うように、「日本を最終の局限」とし、「最後の実験室」として、「それ以上先へ進む」ことはなかったのである。つまり日本は漢字文化圏の行き止まりの役目を果たしたのである。そして、これ以後、新しい参入者を得ることはなかったし、今後も決して起こり得ないであろう。

 

日本はこれからもずっと、国会で総理大臣に漢字の読み方をテストしたり、四字熟語の意味をたずねて国語の試験をやって時間つぶしをしてもらうために、議員に高額な手当を払って養い続けるだろう。

 

西夏文字の解読に尽くした人として、ソビエトのニコライ・ネフスキーが知られている。

 

6、7世紀頃に、日本語が母音調和と呼ばれる母音体系を持っていたという話を著者にしてくれた教師は、退職後共産党の機関誌「赤旗」の記者となり、北京に駐在していたが、帰国の際に空港で、中国の当局から足蹴りにされ、ひどく殴られたとニュースで見て、なんてことだと思った。

 

突厥文字、契丹文字女真文字西夏文字など、漢字を拒否して独自の文字を発明した民族は、その後姿を消してしまい、おそらくかなりの部分が漢族の中に吸収されてしまったのであろう。

自ら発明した文字ではないけれども、当初から漢字を使わず、他の民族の文字を採用し、それを今日まで使い続けている民族がある。それらの文字を古い順に言えば、チベット文字ウイグル文字、モンゴル文字である。

漢族と日常的に接して暮らさなければならなかった、こうした民族のどれ一つとして漢字を採用しなかったのはなぜかという問いに答えることは、漢字という特異な文字が持つ、その強い同化的政治的な性格を明らかにしてくれる。

 

同音異義語に満ち満ちた言語はダジャレを言うには適しているが、だからと言って面白がってすむことではない。同音異義語という病気に満ち満ちていれば、他の言語なら対策を考えるはずだが、日本語では漢字があるから安心している。この安心がますます漢字への依存度を深めることになる。

 

アルファベット人はひたすら音そのものに形や、それどころか色やにおいすらも感じる人がいる。ロマーン・ヤーコブソンは、アルファベットで色を連想していたという32歳のチェコ人女性の例をあげている。

(ランボーの詩でも、母音を色に例えてましたね)

 

ユダヤ人の母語イディッシュ語の専門家のマックス・ワインライヒは「国語とは陸海軍を備えた方言である」と言った。

 

満洲」という、この2文字を合わせた民族も地名もない中国の地図で、一箇所だけこの文字の出てくる場所がある。それは、「満洲里」だ。ロシアがシベリア鉄道につななる東清鉄道を敷いた時に、ロシアはマンヂュリアの地に入る最初の地だからというので、マンヂュリアと名付けた。その漢字表記がこうなったのであるから、「満洲里」は本来の漢語ではなく、あえて言えば ロシア語の写しである。

 

中国の知識人が漢字を桎梏と感じるその重さは日本よりはるかに深刻である。日本人が漢字をゲームのように楽しんで、老人のボケ防止用のおもちゃになどと言っていられるのは、いざとなったら頼れるかな(カナ)文字があるからである。

 

漢文とか、ラテン語が必要とするような特別の知識がなくても理解できる、標準文語からずれた俗の言葉をラテン語圏の西洋ではロマン語、あるいはロマンス語といった。その意味するところは、ラテン語ではなくて、ローマの通俗の話し言葉のことを言い、その言葉で書かれた、内容もまた古典ではない俗っぽい作品を「ロマン」と呼んだのである。

 

子供をちょっと抜け出しかけていた私は、大人や年寄りたちは、なべて漢字が大好きで、自分の文字の知識を振り回して、無学な人民の上にふんぞり返っているわからず屋のじじいばかりだと思っていた。

ところが、当時、いかにもじいさんぽいいでたちで写真などに出ていた柳田國男という大学者の次のような文章に出会って、人は見かけだけで判断してはならないと深く反省したのである。次はこの人が昭和10年に書いた文章である。

「近年の洋語流行は新たにその最も奇抜な実例を多く作ったが、それに先立っていわゆる漢語の濫用が、かなりに我々の言葉を変ちくりんなものにして居る。書生が社会の枢軸を握った時勢の、これが一つの副作用である。[…]維新はさらにその傾向を拡大したのである。」

明治維新は日本の近代化の始まりを告げる政治・文化の大変革だと思っていたが、実は漢字語をどっと増やしたのは明治維新だったということを、この文章は教えてくれた。そうして漢字を増やした張本人は明治革命を担った「書生」どもだったのだ。

(柳田國男の面目躍如たるものがあります)

 

21世紀に入った今日今や、漢字の制限がいかに不自由をもたらすか、それは文化の破壊だとまで言う人が出てきて、やりたい放題に漢字びたしでやろうという声が圧倒的に強くなった。それは自分の手では書けない文字でも、キカイが書いてくれることになり、つまり書けなくても書いてくれるから、という恥知らずな読み書き生活が当然のこととなりつつあるからである。

 

私は、漢字に興味を持ってはいけないというのではない。漢字の考古学をやる人はいてもいいが、全ての人がそれをやる必要はなく、まして入学試験などで、人の能力・知力を測るための道具に利用してはならない。漢字を知っていても頭の悪い人、いな、漢字を知っているためにかえってアタマを悪くしてしまった人たちを私は数えきれないほど知っている。

 

第四章 「脱亜入欧」から「脱漢入亜」へ

ちなみに「ローマ字ひろめ会」の役員の一人に嘉納治五郎の名があり、当時のローマ字運動の広がりを示すものである。嘉納治五郎という人については、私は何の考えも持っていなかったのだが、ロシアの大統領だったプーチンが、わざわざその像を作らせて、クレムリンの秘密の一室に祀って拝んでると聞いてから、そんなに偉い人なのかと思うようになった。これは柔道の山下さんから直に聞いた話だ。

 

一般に単語の借用は、文化の高い言語から低い言語へと行われる。近代になると、それがいかに猛烈なスピードで行われるかは日本語で見ればすぐにわかる。しかし、ロシア語は近代以前からモンゴル、テュルクの借用語に満ち満ちているのである。

 

倉石武四郎という人の思想がよく現れているのは、氏の編んだ『岩波中国語辞典』である。

この辞典は全ての単語をローマ字のアルファベットの順に並べた、ヨーロッパ語の普通の辞典と同じシステムをとっている。実用的にはピンイン式中国語、つまり全文ローマ字化された中国語テキストを読むためのものである。

 

日本の作家や文化人が今考えるべきは、古代から現代に至るまで、数限りない漢字に溺れ、頼ってきたのは自分の特権的知識を振り回しているのが心地よく、また、本当の言葉の能力と才能に自信がないからである。

 

今私は、「脱亜入欧」を「脱漢入亜」と言い換えて利用したい。そのこころは、漢字・漢文に絶対的権威を認めてひれふす奴隷根性を捨て去って、非漢アジアの言語文化に学び、それと連帯しようということである。