漢字が日本語をほろぼす(前半)

漢字が日本語をほろぼす 表紙

漢字が日本語をほろぼす

田中克彦 著

角川 マーケティング 発行

角川SSC新書126

2011年5月25日 第1刷発行

 

『漢字が日本語を滅ぼす』という刺激的なタイトルですが、確かに漢字の難しさを考えると、伝達手段としての言葉としては問題な面も多々あると思います。

というわけでこの本の文中ではひらがなが多いですが、この読書メモでは入力や読みやすさも考えて、漢字を普通の量にしています。

 

はじめに

アメリ国務省の調査によれば、アメリカ人がスペイン語を学ぶのに費やす時間とエネルギーと比べると、日本語はその3〜5倍はかかるという。

 

第一章 日本語という運命

森有礼の「改良英語」による、日本における英語の公用語

 

英語という開かれた言語=開放型言語

日本語=自閉型言語

 

ルイス・フロイスいわく「日本人は漢字の意味を覚えることで一生を過ごす」

 

ブリヤートモンゴル族が住むロシア連邦内のブリヤート共和国

そこではブリヤートモンゴル語が話されているが、世界に言語が7000あると主張する人たちによれば、おそらくブリヤート語は独立の言語であろうが、別の見方に立てば、モンゴル語ブリヤート方言である。

 

中国全体で90%を占め、一つの言語である「漢語」は、その話し手が耳で聞いても相互に通じないほど、それぞれの「方言」の間には隔たりがある。そのへだたりは例えばスペイン語ポルトガル語よりももっと大きいかもしれないのに、単に方言とされている。

 

その言語を使う人の数が多ければ多いほど、その言語の使い手、話し手の利益も大きくなる。だからどの言葉の下で生まれたかは人間の運命を左右する。計り知れない不平等の根源になる。けれども人は当然のこととして、この不公平をいわば運命として受け入れている。

 

人間は12歳くらいまでに生まれ育った 周りの言葉を身につけてしまうと、その癖は生涯洗いを落とすことはできない。いちいち文法を考えたり、アクセントの位置を考えたりしなくても身について、自然に出てしまう言葉を母語という。

 

「母国語」と「母語」は違う。

 

ソ連における「言語と民族」の問題を初めて体系化して示し、レーニンを大いに喜ばせたのはウイーン亡命中の34歳のスターリンだった。私は今でも、この頃のスターリンを好ましく思うといえば、人は変な顔をするのだが、人は年齢によって激しく変わることがあり、いくつもの人生を生きているように思う。

 

第二章 「日本語人」論

日本に住んでいる外国人の子供たちは日本の学校に通い、日本人の友達と付き合って、日本語を母語として獲得している。彼らは日本語の他に出身国の言葉も維持してることが多いから、通常の日本人以上の能力を持っている。

 

サルコジさんの名前を見て、すぐ外国人だわかるのに、それを平気で大統領にするのは、ここが人種の国ではなくて言葉の国だからである。ここではフランス語を話す人がフランス人なのだ。

 

カナダ人は自由を求めて自分の意志でカナダ社会に参入し、カナダ国民となったのだから、祖国に対する忠誠心の強さは想像以上であった。

 

言葉と人間との関係の、対立する考え方

・言葉は神様あるいは自然が与えたもので、人間はその与えられたものを大事に守り、それに従っていかなければならない

・言葉は人間の作ったものだから、使い勝手がいいように、便利に従って変えていけばいいではないか

世の中の人の考え方は前者に組みする人が大半で、後者のように考える人は、ごくわずかの少数派で変わり者、異端者とみなされるほどである。

 

20世紀を代表するフランスの言語学者アントワーヌ・メイエは、いたずらに古い言語復活しようとするのは石油ランプが電球に変わったと嘆くようなものだと言っている。

 

日本語共同体は、日々、人々に見せびらかすほどでもない言葉を、ひたすら必要から喋っている大多数の言語的大衆、すなわち、いささかも母語にかわる外国語の知識もない人たちからなる、日常語伝達共同体がその根底を支えているのである。彼らの言語活動に比べれば、作家の作品などは社会言語学的に見れば、そこから生まれたカビかあぶくのようなものに過ぎない。

 

ガストン・パリスいわく

正書法[正しい文字のつづり方規則]は趣味の問題ではなく、理性的で実用的な問題である。適正な正書法を定めるには、言語学者、教育学者、実業家、書物の印刷業者の協労を必要とするものであって、決して詩人だの、小説家だの、ましてや哲学者だの評論家などに口出しさせてはならない。

 

日本の近代はラテン語にあたる漢文・漢字を禁ずるどころか、明治時代は、せっかく始まっていた「民族の言葉」すなわちヤマトの言葉を見捨てて、ひたすら漢字によって近代の諸制度が必要とする概念を取り入れ、漢字を得意気に振り回す官僚、時には学者を育てて日本を支配した。この結果何が生じたか、漢字・漢文を知るものとそれらを知らないものとの間に深いみぞを設け、近代的な日本語共同体の造成に、永遠の分断のタネを植え込んだのである。

 

それぞれの言語が持つ構造上の特性、すなわち、文法に学ぶ方が色々と注文をつけることはできない。注文をつけたいなら、そのような厄介な区別を取り除いた、別の改良言語を作らねばならないことになる。そこでエスペラントのような、加工言語の発想が生まれるのである。

人々が日常的に自分の母語に合わせてより複雑な言語を単純化して使おうとする時に生まれるのが、ピジン語であり、さらにそれが発展するとクレオール語になる。

近代ロマンス語、すなわちスペイン語ポルトガル語、イタリア語、フランス語等々は、ローマ帝国の版図の拡大に伴ってラテン語が広まっていった地域で、ラテン語がそれぞれの土地の母語に合わせて単純化して生まれたものであって、それらは全て、ピジンクレオール語的起源に根ざす。

 

日本の病院、医療界は、せっかく日本での医療活動に参加したいという、健気であっぱれな、フィリピンやインドネシアからの娘さんたちの前に高い高い漢字の壁を築いて追い払っているのである。こういう国に未来はないであろう。