水道が語る古代ローマ繁栄史(第五・六章)

第五章 大規模な施設は、どのように造られたのか 古代ローマの水道建設技術の話

コーロバテースによる高さの測量

現在の水準器(長さが約30m)と同じだが、コーロバテースは長さ6m

 

古代ローマ以前は石を積み上げて 構築したが、古代ローマ人はアーチ構造の対応とコンクリートを発明・発見した。

その代表例が、コンクリート製のドーム、パンテオンである。

レンガの型枠とコンクリート、及びアーチ構築用の木製支保工を採用することにより、大型のクレーンは必要なく、吊能力数百キログラムの小型クレーンでも構築可能である。

科学的独創性の乏しい古代ローマ人の唯一の大発明・発見がコンクリートである。

古代ローマの素晴らしさは、コンクリートを大量使用したということである。

 

ローマ水道の85%は地下水路である。地下水路にした理由は、水道の安全確保および外敵侵入時の水道の防衛の容易さとともにトンネル掘進が速かったことによる。

なぜトンネルの水路建設が速いか

・トンネル=水路であり、水道建設で本体部分でないのは竪坑のみである。一方、水道橋の場合、橋梁の上に水路を設置するので、水路部分以外の工事の施工数量が非常に多いのである。

・竪坑を近距離感に設けることにより、多数のトンネル掘削チームが作業することができる。さらに1つの竪坑から上下流2方向に同時に掘進が可能である。

・トンネル建設は、基本的に昼夜作業が可能である。一方、橋梁建設は基本的に昼間作業となる。

 

クラウディア水道の断面

 

代表的な石造りの水道橋は、ポン・デュ・ガールおよびスペイン・セゴビア水道橋である。

一方、石・コンクリート併用造りの代表例は、クラウディア水道橋をはじめとしたローマ近郊の水道橋である。

ポン・デュ・ガールには、川の中に橋脚がある。約2000年の間には大洪水もあったはずであるのに、現在でも、何もなかったかのようにそびえ立っている。建設技術だけでなく、洪水対策技術もどうなっていたのかと思う。まさに「悪魔が造った橋」と言われるだけのことはある。

 

深い谷の横断には、橋梁でなく逆サイフォンを使用した事例がある。

フランス・リヨンのジェー水道は4つの逆サイフォンがあり、最も深いのは123m、延長は2.6km ある。

 

第六章 なぜ古代ローマは水道を最重要視したのか 水道を通して見たローマの繁栄

非征服民にとって、従来よりも良い生活環境を提供されれば、暴動や反乱の理由はなくなる。すなわち武力による支配ではなく、インフラによる支配。このために為政者はインフラ整備に力を注いだ。

 

ローマ近郊は、地下の鉱物資源には恵まれていない。ただし、ローマ水道をはじめとする建造物の材料になる石や火山灰、粘土、木材は豊富であった。建設用石材のうち、凝灰岩と大理石はふんだんにあった。

 

ローマの奴隷制度は、古代ギリシャや近代 帝国主義奴隷制度とは一線を画するものである。奴隷は一生奴隷とは限らず、資産を稼いだり、主人の覚えてたかったりすると、それと引き換えに奴隷の部分から解放され、ローマ市民権を獲得できた。資産を稼いで解放奴隷となれた理由は、元老院議員が大型船の所有や金貸しを禁じられていて、商売の制限があったためである。

 

王政ローマ期から、カラカラ帝によるアントニウス勅令の発布(212年)までは、古代ローマの軍団は市民兵や 属州兵で構成されていた。彼らは国への忠誠心が強く、軍務がない時は、道路や橋梁の建設も行った。しかし3世紀も後半になると傭兵が採用され、次第にその数を増し、476年には、ゲルマン人傭兵隊長オドアケル によるより皇帝ロムロスが廃帝され、ローマ帝国が滅亡した。傭兵は基本的に軍務専業で、平時に建設作業は行わないため、軍隊の合理性・効率性が建設作業へ導入されることが少なくなったのである。こうしてインフラ技術の継承が滞ってしまったのではないだろうか。

 

ウィトルーウィウスの「建築書」や、フロンティヌスの「水道書」のような技術書がローマ軍団各所に流布し、マニュアルとして使われたものと想像できる。これも合理的な方策である。それゆえ、古代ローマの領土の各地にミニローマを造ることが可能となったのである。