水道が語る古代ローマ繁栄史(第二章後半)

首都ローマの水道幹線の分析

ローマ水道の水源の考え方を整理すると、河川の表層水を水源としてるのは旧アニオ水道だけで、他は湧水や湖の深層水を利用している。古代ローマ人が湧き水や湖の深層水を利用するという思想は信仰にも近い。この考え方は現代のヨーロッパの水道に受け継がれているのだ。具体的にはウィーン、ミュンヘン、パリ、ローマ 等の水道である。

 

ウィーンでは1873年にシュヴァルツァ渓谷のカイザーブルンの湧水地より約90kmを、1910年にはザルツァ渓谷の湧水を約200km、導水管でウィーンに送水した。現在、これらの湧水からの水道がウィーンの水需要の80%を満たしているので、ウィーンの水は世界一美味しいとの評価を得ている。これはウィーンのコーヒーが美味いとの理由でもある。

パリは現在は人口の増大により、小パリ(ヴィル・ド・パリ)の水需要の60%を6本の湧水からの水道が満たしており、残りはセーヌ川の濾過水である。

(パリはそんなに水が美味しいと思いませんでしたが)

 

日本の場合、湧水の豊富な熊本市岐阜市等を除いて、河川の水に薬品を使用した凝集沈殿、濾過、殺菌処理をした水道水が主流であり、根本的な思想が大きく異なっている。

 

首都ローマの最も短い水道はアッピア水道の16.6km、最長の水道は91.3kmのマルキア水道である。一方、帝国内で最も長い水道は、2世紀にカルタゴに造られた延長132kmのハドリアヌス水道である。このことからも、安全な水の確保に大変な努力をしていることがわかる。

ローマには7つの丘があり、起伏に富んだ地形である。当たり前のことであるが、ローマ水道は自然流下のため、丘の頂上部に水道が到達できれば広い範囲に給水が可能である。水道を高い位置で保つには、長い距離の水道橋が必要となる。

 

遠距離の水を運んだのは水源信仰と言えるであろう。水源の清冽な水をそのままの状態で運ぶことのみ注力したのである。

テヴェレ川の汚染された水を避けるだけだったら、ローマ人の技術力だったら、下流に新排水路を造って済ましていた。

またテヴェレ川がローマ市の最も低いところを流れていたため、丘の上に汲み上げるには、膨大な労力がいる。

 

ニーム水道の特徴は、世界遺産にもなっている三層の石造アーチ橋、ポン・デュ・ガールである。

カルタゴ水道は全長132km、古代ローマで最長の水道である。

ケルン水道は、ヨーロッパ大陸で、古代ローマ 最長の水道である。

スペイン・メリダ水道の特徴は、ダム湖からの取水である。

 

古代ローマは、首都ローマのみならず、広大な領土内の数多くの殖民都市等に安全な水の供給が不可欠であった。そのためには、安全な水の見つけ方や水道の建設方法等の技術者のノウハウを、口伝ではなく、書物により伝える必要があった。すなわちマニュアル化である。その1つがウィトルーウィウス(ウィトルウィウス)の「建築書」である。

 

ローマ水道の取水の方法

・河川・湖沼の表層からの取水→大水等で汚染されることがあるので、極力避けるようにしている。

ダム湖からの深層取水

・泉等の地中よりの取水

 

ウィトルーウィウスとはどんな人物か

カエサルおよびアウグストゥスの建築工匠とされ、有名建築家ではなく、むしろ教育家的建築家とみなされている。そして、『建築書』の出版以外知られていない。

『建築書』は、紀元前33年〜紀元前22年に著作されたものと言われている。1414年にスイスの修道院で手写本が発見され、1486年にローマで複製本が刊行されて以降長い間、建築工匠の聖典となった。

 

ローマ水道は基本的に民生用であり、建設は皇帝、 執政官や監察官の指揮のもと、アグリッパが率いたような技術者集団の企画と工事の管理、そして民間の請負集団が入札を経て工事を実施した。

建設財源は、戦勝による財宝、皇帝からの下賜金や貴族からの寄付で賄われていた。給水量の約4割を占める民間用(個人住宅への引き込み)は有料であった。

 

ローマ水道幹線がトンネルや蓋付きの水道橋が主体であったことに比べ、江戸上水の幹線は開削水路であった。またローマ水道は、水源地の泉に対して信仰的なものがあったが、江戸上水は池や河川からの表層取水であった。

 

8代将軍吉宗の時代、享保7年(1722年)に4上水が突然廃止された。

大火事が頻発し、その理由の一つとして、4上水が槍玉に上がったという説が伝えられている。

これは儒官、室鳩巣の、「江戸の大火は地脈を分断する水道が原因であり、従って上水はやむを得ないところを除き廃止すべきである」という提言が採用されたと言われている。

随分非科学的な言説である。幕閣に、科学的思考のできるウィトルーウィウスやフロンティヌスの爪の垢でも煎じて飲ませたいほどである。

上水を廃止しても、掘削技術の向上によって堀井戸から清浄な水が得られるようになったことや、水道維持費の増大等も理由の一つに挙げられているが、正確な原因は不明である。

このために水不足になった地域は、水船等による売水を利用するようになった。これでは、この区域の江戸の町民は、大好きな風呂もままならなかったであろうし、風呂屋も井戸からの水汲みは大変であったろう。全く迷惑な話である。