Ⅺ 近代科学の源流 スコラ自然学と近代 伊東俊太郎
12世紀ルネサンスの真の担い手は十字軍のような宗教的狂熱の虜にとなった人々ではなくて、もっと一層冷めた知的精神の持ち主たちでありました。彼らは当時のアラビア文化の優れた点を謙虚に認め、それを吸収することなくしてはその後のヨーロッパの発展はありえないと考え、自らアラビア文化との接点になっているような色々な地域に出かけて行って、そこでアラビア語を学び、多くの学術文献を一生懸命に翻訳研究することに生涯を捧げたのでした。
12世紀の知的運動の拠点になった場所
・トレドを中心とする南スペイン
アラビア世界から 全世界が重なり合っていた場所
ノルマン王朝の非常に寛大な文化政策により、ギリシャ語とラテン語とアラビア語とが共に公用語として認められていた。
・ピザとかヴェネチアとかいう都市を中心とする北イタリア
ビザンツとの非常に密接な通商関係
[木村]ルソー曰く、ある人が自分を支配しようとしても、ちょっとその人が目を離した隙に森の中に20歩入
ってしまえば、もう私は自由になってしまう、というのです。森は人間にとって怖い存在でした
[堀米]ヨーロッパの森は日本の森とはだいぶ違う平地林という性質ですね。深い平地林も恐ろしく怖いものなんですね。
[伊東]西欧の科学史は12世紀が出発点になると思います。
2番目の大きな高まりは14世紀です。その後の1つのピークは17世紀で、ここで近代西欧科学は完成されたと言えましょう。
15、16世紀はルネサンスの時期ですけど、本当にオリジナルの科学上の学説を出した人はコペルニクスを除いてはほとんどいないと言ってくらいで、ピークの谷間だという風に考えてられてきているのでは。
[木村]アラビアの科学をヨーロッパが受け継いで近代科学で発展させたわけですが、当のイスラム世界がヨーロッパ流の近代世界と言いますか、ああいった発展と言うか、展開を見せなかったなぜであろうか。
[伊東]まず外在的には、
イスラムの科学思想を含めていろいろな思想的なアクティビティが非常に高まったということは、やはり東西の中継貿易をイスラムが独占的にやっていたことがあると思います。しかし15世紀以降になると新しくアフリカを就航するヨーロッパ人の航路が開拓され、この大航海時代にイスラムの独占を破ってヨーロッパ人が新しい富と知識を蓄積していく。そういった商業的なイニシアチブの交代により、イスラム思想のアクティビティというものも、経済的な理由を失うことを契機として不振に陥ったのではないか。
内在的には、
イスラム正統神学の復活ということがあると思います。
その転換となったのがアル・ガザーリーの出現で、イスラム神学がこのアル・ガザーリーを通してもう一度息を吹き返し、それまでギリシャ科学の合理的な遺産を受け入れて発展させていった自由な思想がここで一頓挫してしまうわけですね。
Ⅻ 中世人の美意識 ロマネスクとゴシックの世界 柳宗玄
カロリング朝までの建築は、大理石のような上質の素材を使うことが非常に多かったが、ロマネスク時代になると、そういう贅沢なことはせず、それぞれの地方で算出する 粗末な石を使った。
庶民の像など、私たちが世俗芸術と考えられているようなものも、全てその宗教芸術の中に包含されたというのが、中世美術の、あるいはロマネスク、ゴシック時代の芸術の一つの本質的な要点であります。
しかし何と申しましても、神ないしキリストが聖なる世界の中心を占めていて、その下に万物が整然たるを持って従属しているというような世界観が、この時代の芸術の中心をなしていたということが言えるわけです。
ⅩⅢ 賛美と愛の歌 グレゴリオ聖歌と世俗歌曲 皆川達夫
古今東西色々なタイプの宗教があり、それぞれに優れた宗教音楽を持ち、音楽を大切にしております。宗教というのものも、音楽というものも、形にはとらえることができない、手に取ることができない不思議な存在でありますが、しかもそれは人間の心の一番奥深く入って、人を感動させ、人の生命を根本的に揺り動かして変えるほどの力を持っている。
仏教彫刻、仏教絵画、あるいは古代ギリシャの神様の彫刻というように、美術と宗教の関わりが強いところがキリスト教、そしてその母体のユダヤ教は偶像崇拝禁止が建前であります。
そのような場合には、美術よりもむしろ音楽が際立って重要な存在として、クローズアップされるということになるのであります。
中世における音楽の分類
・ムジカ・ムンダーナ…宇宙の音楽。耳には聞こえない
・ムジカ・フマーナ…人間の音楽。人間の精神活動とか肉体のいろいろな調和
・ムジカ・インストゥルメンタリス…実際に耳で聞くことのできる具体的な音楽、つまり現象としての音楽
中世の教会音楽の面
・単旋律のグレゴリオ聖歌
・多声のポリフォニー音楽
更に第3のタイプとして世俗音楽、つまり宗教的でない音楽
ⅩⅣ 中世と現代 革新の世紀の終末と再生 堀越孝一
[堀越]はっきり言えることは、イタリアと北西ヨーロッパとの違いを非常に強調しすぎるという傾向が従来あったのではないか。それは例えば15、6世紀のイタリア・ルネサンスを説明するのに、実に無造作に13、4世紀ぐらいのコムーネ(自治都市)時代のイタリアを持ち出してきて説明するというところがある。いってみれば、ダンテとレオナルド・ダ・ヴィンチが、ルネサンスという1枚の大きな画布に描き込まれているわけです。これはおかしい。
13、4世紀頃の、都市コムーネ時代のイタリアは、13、4世紀頃の、例えばネーデルランドやフランドルの都市圏と対比されるべきである。他方、15、6世紀のイタリア・ルネサンスは確かにはっきりしたものとしてあると思います。