バルト海を旅する40章 7つの島の物語(サーレマー島・ヒーウマー島)

バルト海を旅する40章 7つの島の物語 表紙

バルト海を旅する40章 7つの島の物語

小柏葉子 著

明石書店 発行

2017年2月25日 初版第1刷発行

 

日本ではなかなか知ることができない、バルト海域に位置する7つの島について、歴史を踏まえた訪問記を書いています。

紀行文でもありますので楽しく読めます。

 

はじめに バルト海域――島々へのいざない

ロシア、エストニアラトビアリトアニアポーランド、ドイツ、デンマークスウェーデンフィンランドに囲まれた表面積41万2560平方キロメートルのバルト海は、平均水深55m、最深でも459mという浅瀬の海であり、海水が入れ替わるのに約30年かかるという内海である。

 

第Ⅰ部 〈プロローグ〉島々からみたバルト海域の歴史

1 バイキングとハンザ商人、騎士団――古代・中世のバルト海域を彩った人々

ハンザ商人のバルト海域における貿易活動と裏表をなしていたのが、キリスト教の布教であった。ハンザ商人は自分たちの貿易活動を円滑に行うために、この地のキリスト教化を望み、いわゆる北方十字軍を支援したのである。

 

2 スウェーデンからロシアへ――バルト海域の覇者の下で

13、14世紀とバルト海域で勢力を誇ったのは、ハンザ都市連合と騎士団だった。しかしその勢力も、やがて衰えを見せ始める。一つには、イギリス、オランダの商人が台頭してきたからである。彼らはその貿易活動で、ハンザ都市連合を脅かす存在となっていた。さらに、宗教改革の波が押し寄せ、騎士団も弱体化した。そこに新たな勢力として伸長してきたのが、スウェーデンである。

 

クリミア戦争と言うと、トルコが戦場だった印象が強いが、実はバルト海も戦場になった。

 

3 国民国家と世界大戦――嵐の時代のバルト海

 

4 冷戦、そして冷戦後とヨーロッパ統合の深化・拡大の中で――バルト海域の新たな時代

 

第Ⅱ部 サーレマー島――ネズの木の島

5 司教の城

サーレマー島へは、エストニア本土のヴィルツ港からフェリーを利用し、まずサーレマー島の隣にあるムフ島に渡り、そこから海の浅瀬を盛り土にした道路であるコーズウェイを通って向かう場合が多い。

ムフ島はエストニア第3の面積を持つ島である。だがサーレマー島の「玄関マット」という不名誉な呼ばれ方をされているように、サーレマー島に向かうフェリーの乗客の大半は、ムフ島を通過地点として通り過ぎてしまう。

 

6 騎士団との攻防

7 島の自然

カーリ・クレーターは、何千年も前に隕石が衝突してできたクレーターで、今は水が溜まって湖になってる。

「カーリ湖を見ないものは、サーレマーを見たとは言えない」とも言われるように、サーレマー島の名所になっている。

8 占領と戦争と

1941年8月、ドイツ軍はエストニア本土を制圧する。迫りくるドイツ軍の侵攻を前に、サーレマー島ではソ連軍による残忍な「赤色テロ」が繰り広げられた。

1944年9月末、エストニアの本土はソ連軍によって制圧された。そしてサーレマー島に侵攻してきたソ連軍はドイツ軍との戦闘に臨む。

 

9 国境の島からリゾートの島へ

ソ連時代、サーレマー島は、ヒーウマー島と共に、「国境の島」として位置付けられていた。

 

「サーレマー・ワルツ」は、リゾートとしてのサーレマー島のイメージを人々に与え続けてきた歌である。

 

[コラム1]3度名前が変わった町

アレンスブルグ(外部統治時代)→クレサーレ(エストニア独立)→キンギセパ(ソ連時代)→クレサーレ(エストニア 独立への動き)

 

第Ⅲ部 ヒーウマー島――白鳥の島

10 「1日の島」ダゲー

ダゲーとは「1日の島」、つまりスウェーデンから1日で来ることのできる島という意味であり、スウェーデンとヒーウマー島との間に密接な関係があったことをしのばせる。

 

11 閉ざされた島の「伝説」

12 中世の灯台

ヒーウマー島のおすすめ観光スポットは3つの灯台である。

 

13 島民気質

14 ドイツとの縁

[コラム2]サマー・ピープル

サマー・ピープルとは、普段は首都タリンなど大きな町に住んでいて、夏や 週末だけ島の別荘にやってくる人々のことを指す。