中世ハンザ都市のすがた コグ船と商人

中世ハンザ都市のすがた コグ船と商人 表紙

中世ハンザ都市のすがた コグ船と商人

ハインツ=ヨアヒム・ドレーガー 作

中島大輔 訳

朝日出版社 発行

2016年12月24日 初版発行

 

1400年頃の、中世ハンザ都市の情景を生き生きと描いています。

 

ご挨拶

わずか数十年の間にバルト海沿岸には他のどこにも類のないほど統一的で、長年にわたって主流を占める建築様式が生まれます。後にゴシックと呼ばれる様式です。それはこの地域固有の建築素材にちなんで「煉瓦ゴシック」と呼ばれることになります。

 

前書き

大きな絵を仕上げるにあたって、まるで答えが見つからないか、せいぜい曖昧な答えしか得られない疑問がたくさんあり、当時の記録が欠落している箇所については、私たちの知識も不完全なままです。知識の空白を見るためには、想像力に頼らざるを得ません。絵では空白部を残しておくわけにはいかないからです。画家は色で描かなければなりません。文章を書く人の方が簡単な場合がしばしばです。

 

困難な旅路/ハンザ都市/市門の外/通り/商人の家/職人の工房/市場/市庁舎の中/教会の改築現場/教会の中/港/海を渡って

 

商人とコグ船

通商と航海はハンザ同盟のすべてであった。ハンザはドイツ西部と北部の商人の組合的な連合として始まり、12世紀半ばから14世紀にかけて、北海とバルト海を自らの通商圏として支配する。

14世紀に入ると、個々の都市がそれぞれの商人の利益を代表するようになる。

ハンザの加盟都市の数はおよそ70から200の間を揺れ動いたが、都市間の結びつきは条約と友好関係による緩い関係にとどまった。しかしながら重要な通商同盟として400年以上も存続する。ハンザ同盟は政治的な問題でも発言権を持った。

ハンザ商人はおもにコグ船でヨーロッパの東西南北を結び、生活必需品や利益率の高い原材料、食料や手工業製品の交易を行った。

15世紀になると次第に大きなハルク船が現れ、コグ船にとって代わる。その後三本マストの船も登場する。ハンザ同盟が終焉を迎えたのは17世紀になってからである。

ハンザ時代のコグ船は一本マストの膨らんだ胴体の船で、横帆と船尾舵を備えていた。コグ船の大きさは様々で、長さは15mから25m、幅は5mから8m。舷側の高さは3mから5mであった。

コグ船の積載量の単位はラストと言うが、これは本来は四頭立ての馬車が一度に運べるライ麦の量(2トン) を表した。つまり50ラストのコグは50台の四頭立て馬車に相当する。しかしコグの方が安価な上に速かった。

 

解説

都市の全貌は表紙および第2景「ハンザ都市」の鳥瞰図に描かれています。以降の各景は、いわばこのロングショットからのクローズアップになります。

 

特定の都市を描いたわけではないが、モデルとなってるのはハンザの盟主たるリューベックと推測できます。

 

リューベックの歴史

1143年頃 ホルシュタイン公アードルフ2世によって建設される

1159年  ハインリッヒ獅子公の特許状を得る。飛躍的に発展

ほぼ同じ頃、遠隔地商人は盗賊からの自衛をはかるべく、商人仲間の連合すなわち商人ハンザを組織

商人同士の結びつきは次第に、その商人が行政を司る都市の連合へと移行

1259年  リューベックヴィスマールロストックの間で盗賊や海賊に共同で対処する都市同盟が成立

ドイツ商人にとって唯一のバルト海への出口となったリューベックが都市ハンザの盟主となるには時間はかからなかった。

1367年  リューベック率いるハンザ都市連合は、デンマークの国王ヴァルデマール4世の軍を破る

1370年  シュトラールズントの和約によってハンザの通商特権を保証させる

1375年  神聖ローマ帝国皇帝カール4世もリューベックを訪れる

1400年頃 ハンザ同盟のほぼ絶頂期

 

教会の改築に描いた起重機(クレーン)についても、種々の歴史資料にあたりながら、今一つ自信が持てません。 しかしある日、中世都市に関する展覧会で自分が描いたものと全く同じ起重機の模型を見て胸をなでおろします。「よかった。実は…」と安堵の理由を伝えたドレーガーさんに、担当者は「あなたの絵を見て作ったのですよ、ドレーガーさん!」と答えたそうです。