山の精神史 柳田国男の発生

山の精神史 柳田国男の発生 表紙

山の精神史 柳田国男の発生

赤坂憲雄 著

小学館 発行

1991年10月20日 初版第1刷発行

 

各章の導入部においては、著者自らが現地に赴いた経験談を述べており、その後、柳田国男のテキストの綿密な考証に入っています。

 

序章 物語の闇・遠野にて

遠野の里を歩いていると、確かに遠野物語の序文の通り。至るところで石碑や石塔に出会う。

遠野郷には山神塔と多く立てり、その処は曾て山神に逢い、又は山神の祟りを受けたる場所にて神をなだむるために建てたる石なり

と、遠野物語の注にあり

 

生まれた子供がその異形ゆえ河童の子として扱われた話がある。

奇形という説もあるが、女と間男の間に生まれた子供をイエを守るために犠牲に供したと言った事実があり、その間男が河童に、父のわからぬ子が水掻きのある河童の子に転じることで、事実を疎外した幻想の事実譚が構成されたのだとする、解釈もある。

 

第一章 椎葉より

都からの高貴なマレビトとして不意に降り立つことになった、椎葉村 という異次元世界。その異界の村での不思議に満ちた山民の信仰や習俗との出会い、そして『後狩詞記』の出版。それは疑いもなく柳田の農政学以後の思想的歩みの起点に置かれるべきものである。

 

初期著作群にまつわる成立事情は偶然によるものではなく、柳田国男の思想を考える際には見逃すことができぬものである。一言で言えば、それらが異質な他者たちとの出会いと交通の所産であり、柳田その人は常にその交通の磁場の中心に身を置いていたということだ。それが柳田の知の文体になってもいた。

 

『後狩詞記』と『遠野物語』を世に問うべきモチーフの共通性

・『後狩詞記』が習俗の記録であり、『遠野物語』が民譚の聞き書きであるという違いにもかかわらず、それらがともに現在という時間の中に生起する習俗であり、民譚であることが強調されていること

・現在に生起する習俗や民譚を生活者や伝承者から直に取材し記録することに、特別な意義が認められているということ

 

田代という地名からは、その土地が「我々の祖先」である日本人によって開発されたこと、またそのおおよその開発時代が知られる、とされる。

 

第二章 血と漂泊

遠野物語』には、直接に先住異族=アイヌと山人との関係を示唆する記述はないが、遠野の地名についてアイヌ語アイヌ文化との連関が註記としてしきりに語られている。

 

南方熊楠書簡による、柳田山人論に対する批判

 

第三章 天然の力

駒ヶ岩に立って、辻川の集落のある方を振り返る。小高い山影がはるかに遠く連なっている。青々と深い遠野の山並みが不意に頭をかすめる。やはり柳田の生地、辻川から山は遠い…。私は何度か噛みしめるように確認した。

(個人的には辻川は兵庫県中部の山の中というイメージがあるのですが、やはり遠野から比べるとまだ平地なのでしょうね)

 

『山の人生』はとても不思議な書物である。この著作に賭ける柳田の強烈な息遣いだけは、確かなものとして 伝わってくる。そして魂を揺さぶりねぶるように昏い力で読み手を鷲掴みしてくる。 ある種稀有なる著作であることも確実だが、モチーフの所在がはぐらかされているかのように見えにくい。 柳田の山人論を追いかけてきた私たちの前に 、山の人生は謎めいた顔をして立ち尽くしている。明らかなのは、この『山の人生』が疑いもなく、柳田山人論の最終楽章であったということだ。これを最後に、もはや柳田が本格的に山人を主題化することはなかった。

 

柳田はたぶん、山男の消息を訪ねて彷徨してきた自らの20年の歳月にも密かに訣れをつけていたのだ。例えば幼くて山中に紛れ入った姉弟が、昔と変わらぬ姿で父母の前に現れる…、それは 柳田自身の姿と疑いもなく二重映しのものだ。

 

第四章 山人その後

布川の祠の珠を見た時、青空の中に星を見たという特異な体験

柳田本人がそこに特異な意味を見出していたらしいということだ。現実と幻想の世界を超えて、たやすく異世界の側にも踏み迷う、いわば神隠しに遭いやすい子供であったという自覚である。

 

第五章 山人の誕生

ハイネの『流刑の神々』(つまり『諸神流竄記』)の影響は様々に説かれてきた。『流刑の神々』の主題はハイネの語るところによれば、「キリスト教が世界を支配した時にギリシャローマの神々が強いられた魔神への変身」ということである。山人・妖怪・河童そして山野の神々を、古代の先住異族や神々の零落した姿形と見る柳田の理解が、『流刑の神々』の影響を色濃くこうむっていることは否定しがたい。

 

第六章 稲の風景

柳田の『雪国の春』(昭和三年)は、しばしば山人から常民への転換の書であると言われてきた。確かにこの、大半が東北の各地を歩いた紀行文からなる著作には、例えば明治末年から書き継がれ『山の人生』に 一つの結晶を見た山人をめくる論考群とは、かなり異質な雰囲気が漂う。

 

第七章 平地人と常民

下北の風景はどこか貧しく、ある種寂寥感のようなものを旅ゆく誰しもの胸に抱かせるらしい。その理由がうまく納得できずにいた。

稲が無いからですよ、と教えられた。