勝海舟の罠 氷川清話の呪縛、西郷会談の真実

勝海舟の罠 表紙

勝海舟の罠

氷川清話の呪縛、西郷会談の真実

水野靖夫 著

毎日ワンズ 発行

2018年4月1日 第一刷発行

2018年4月2日 第ニ刷発行

 

勝海舟の氷川清話の内容について検証し、多くの箇所が勝のホラであることを立証しています。

その分、山岡鉄舟などの功績が浮かび上がっています。

勝の今までの英雄的な行動が誤った伝承であると指摘し、ホラや人間くさいところが強調されていますが、自分なんかには、そういったダメっぶりにより、かえって勝に親しみが持てます。

一方、山岡鉄舟のカッコ良さを発見出来たのは収穫でした。

 

はじめに

『氷川清話』は勝海舟の自慢話や放談で、内容はかなり信用できないということ。学者はじめ多くの識者がこの『氷川清話』に影響を受け、かなり俗説に染まっていること。まして小説や漫画 、さらにテレビなどはもうほとんどめちゃくちゃであること。そして教科書までもがその延長線上にあることがわかってきた。 またそういった俗説というのは一旦流布・定着すると、容易には変わらないことも分かった。

 

明治維新は一種の革命であり 内戦でもあった。世界史的に見ると革命・内戦においては多くの 流血が見られるが、明治維新は 比較的少ない犠牲で済んだ。革命・内戦の犠牲者数は諸説があるが、フランス革命では60から80万人と言われ 、アメリカの南北戦争では戦死者は60万人を超える。 戊辰戦争の犠牲者は1万人前後であり、フランス革命南北戦争とはケタが違う。

(相変わらず世界中戦争だらけの懲りない世の中だからこそ、無血開城という言葉の響きには魅せられます。)

 

第一章 勝海舟、海へ

そもそも 、ワシントンを訪問して日米修好通商条約を批准した遣米使節団の正使、副使、 目付 小栗上野介は 咸臨丸ではなく、米艦で渡米した。 咸臨丸は随伴船で条約 批准の場に同席する機会も与えられず、 サンフランシスコで引き返している。 もともと咸臨丸は別船としてポーハタン号の正使に万が一の支障があった場合に備えたた副使を乗せるという名目で、真の目的は 練習航海とアメリカ海軍の実地検分にあった。

 

木村摂津守は咸臨丸乗船にあたって、「人」と共に「金」も用意した。

 

第ニ章 交渉人・勝海舟

どうも勝は ネゴシエーター 、トラブルシューターの才があるのではないか。 組織の長として創造的な大仕事をするのではなく、 よろずもめ事解決の便利屋に向いているようである。 それは頭の回転が速く、機転がきき 、口八丁手八丁 の能弁家であり 、ハッタリがうまく、その上 フットワークがよく、 敵方にさえも ネットワークを持っているからである。 従って敵にも味方にも重宝な人間なのである。

 

『氷川清話』の中の「軍艦デモンストレーション」は、勝の自慢話のうちで数少ない真実の事例で、得意の絶頂でもあった。

 

勝海舟が本当に切り回したのは 、鳥羽 伏見の敗戦で徳川慶喜が東帰してからである 。つまり幕府が倒れると決まってから、その後始末に手腕を発揮したのだった。

 

大政奉還」は勝が言い出したものではない。

政権返上を最初に言い出したのは 幕臣 大久保一翁である。

 

第三章 江戸無血開城
無血開城は芝居にたとえれば三幕ある
山岡鉄舟駿府まで行き西郷隆盛と会い、無血開城を実質決定した駿府談判
・西郷と勝海舟の、江戸薩摩藩邸において降伏条件の復活折衝した江戸会談
・西郷が京都に戻り朝廷において強硬派を説得し、無血開城を正式に決定した京都朝議

西郷はなぜ勝に会いに 江戸へ行ったのか
→鉄舟にしかるべき肩書がなかったから。西郷は鉄舟との約束をしかるべき 肩書きを持つ人物に確認しに行ったのである。

西郷と勝は無血開城 の実現についての交渉は何一つしていなかった。この会談では西郷が提示した降伏条件をいかに緩和させるか その嘆願がなされたのである 。無血開城を決定する 談判はされていない。ないものは書けないし 、語れない。

渡辺清による『江城攻撃中止始末』
具体的な 江戸会議の会談の内容が書かれた唯一の史料。第三者による公平な観察
勝が西郷を説得し慶喜の処置についての譲歩を引き出し、無血開城を成し遂げたという 交渉については何も記していない。 なぜか。なかったからである。

京都で木戸孝允が応援してくれたとはいえ 強硬派を説得した西郷の功績は極めて大きい 。その結果これ以降西郷は徳川に甘すぎると見なされ、 軍事の中心から外されてしまうのである。
西郷の人間的な甘さ 、情に対する脆さが出たと言える。
またこの西郷の情に対する脆さが西南戦争という形に出たのではないだろうか。
一方この西郷の情の厚さが 、薩摩と庄内の今に続く交流につながっている。

鉄舟は勝の部下でもなければ メッセンジャーでもない。慶喜の直接の命令を受けて西郷に会いに駿府へ行ったのである。

英国公文書という客観的資料により勝は西郷との会談前にサトウとは会っていなかったということが証明されたことになる。 従って勝は会っていないサトウにパークスの圧力を依頼することはできない。

なぜ無血開城 が勝と西郷の会談で実現したという俗説が信じられているのか
・勝が鉄舟の手柄を盗んだ
・氷川清話等の放談で、勝がやったと吹聴した。
聖徳記念絵画館の壁画

徳川家達はなぜ武蔵正宗を勝ではなく鉄舟に与えたのであろうか
それは取りも直さず 、無血開城は 鉄舟の功績という認識を徳川家では持っていたからであろう。

西郷と勝が会談をしたのは紛れもない事実である。事実でないのはこの会談で無血開城がなったということである。ある教科書にこの絵の説明として 「この江戸城無血開城は勝と西郷が 大局的な視野に立って決断した結果でした」と書いてあるが、これが間違いなのである。

慶喜は新政府軍の進撃を食い止めるため何本もの矢を放った
放たれた様々な矢は敵を倒すことができなかった
しかし 西郷の心臓に深く突き刺さった唯一の矢、それは鉄舟だった。

勝は軍事のトップの肩書与えられはしたが、実質的なトップではない 。あくまで 臨時の和平交渉役に過ぎない。

第四章 明治の勝海舟
勝には何でもかでも自分がやった、お偉いさんが頭を下げて頼みに来た 、あまり気が進まないが やってやった、という 類の話が実に多い。 しかも失敗した話でも失敗だったとはめったに言わない 。黙って聞いていれば皆うまくいったように聞こえるのである 。その典型例が無血開城である。

第五章 妄友帖

小栗上野介は徳川政権を守ろうとしてた。勝に言わせれば徳川にこだわるな 、もっと大きく目を見開いて国家を視野に入れろ、ということで 「視野が狭いぞ」 と言ったのであろう。

 

小栗は徳川幕府専制による郡県制を目指そうとしていた。 だから 小栗は長州と薩摩を潰そうとしたのである 。その上で 各藩の力を削ろうとした。

 

小栗の考えはあくまでも 徳川ファーストであり、勝は徳川には こだわらない。 徳川にこだわるのは「私」であり 国家にこだわるべきであると主張する。 つまり ジャパンファースト、オールジャパンである。

 

小栗は能力主義で積極的に優秀な人材を登用した。軽輩・陪臣に関わらず 能力のある人間は どんどん抜擢し革新閣僚グループを形成していった。

 

世界の海軍史に残る海戦となった日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を破った 東郷平八郎 元帥は自宅に小栗の遺族を招き 、「バルチック艦隊に勝利できたのは 小栗さんが 横須賀造船所を作ってくれたおかげです 」と礼を述べた 。小栗の先見性が半世紀近く経って評価されたわけである。

 

勝は日本海軍 生みの親と言われることがあるが 、むしろそれは 木村摂津守 ではないだろうか。 少なくとも 勝と並び称されるべきではないか。 それを勝は全て自分の功績としてしまってるように思われる。 だから木村のことは語りたがらない。

 

勝が賞勲局に無血開城 を鉄舟がやったことまで全て自分がやったような報告書を出した時 、それを見た 鉄舟は勝の人格を見抜いたであろう。しかし笑って自分の功績を勝に譲り 、その後勝とは何のわだかまりも持たずに親しく交わった。

 

勝と木村の人格・品性について言えば 、明らかに 木村の方が上に思える 。木村は勝にメンツをつぶされても、それを恨むまでもなく、 頼まれれば喜んで協力し、またその勝のプライドを傷つけないように気を使い、 勝を褒めている。大人の木村に対し勝は子供のように思える。どう見ても人格の高潔さでは 木村に軍配が上がる。 だから勝は 木村のことに触れたくないのであろう。人間として敵わないと感じているのであろう。

 

第六章 勝海舟の人物像

勝は幕臣であるにも関わらず 、徳川家のためにではなく、 国家のために尽くした人物として評価されているのである。 幕府は早晩倒れる、新しい体制が必要だという卓越した時代 感覚 こそが勝が先見の明があると言われる所以である。勝は早い段階で幕府を見限っていた。

 

勝が鉄舟と似ているのは、剣と禅の修行により胆力が磨かれたことである。

ただ鉄舟は基本的には 剣術家、むしろ求道者だったのである。

 

勝は困窮した旧幕臣の救済のため、 就職の斡旋をしたり、 また相当私財を投じたりした。そのため勝は少しでも高い地位につき、また高収入を求めたのかもしれない。

 

あとがき

勝の功績と思われるものをピックアップすると、コピペの海防意見書提出、 ほとんど船室で寝たきりの咸臨丸渡米 、わずか10ヶ月で閉鎖の神戸海軍操練所 設立だけである。 いずれも歴史に残るほどの功績ではない。 その他はほとんど失敗か空振りのネゴ役だけである。

 

結局氷川清話は無血開城のバイブルになって、その呪縛から逃れられずにいるのである。氷川清話は放談であって史料ではないのだ。

では誤りを見つけたらどうするか。それは正すしかない。