フィレンツェ 歴史散歩
中嶋浩郎・中嶋しのぶ 著
白水社 発行
2006年9月10日 発行
花の都フロレンティア
ジョヴァンニ・ヴィッラーニ(1275頃~1348)による全十三巻におよぶフィレンツェの『年代記』
ヴィッラーニによればフィエーゾレはヨーロッパ最古の町ということになるが、実際には紀元前六世紀から五世紀にかけて建設されたエトルリア人の町。
フィレンツェよりずっと古い。
丘の中腹までを含む周囲二千五百メ-トルの城壁で囲まれる。
他のエトルリア都市と同様、新興勢力ローマの支配下に入り、ローマ風の劇場、浴場などが建設される。
「高貴なローマ人とフィエーゾレ人の子孫たちから、ローマ人の力によってフィレンツェ人と呼ばれる民が作られた」というヴィッラーニの言葉
殉教・軌跡・聖人
『神曲』でたどる内乱の時代
ダンテとベアトリーチェ
修道士ミケーレの処刑
1605年、69歳という高齢でレオ十一世としてローマ教皇の位に就く。
レオ十世、クレメンス七世に次ぐメディチ家三人目の教皇が誕生したが、即位後わずか24日目に亡くなってしまった。
その墓には「バラの命ほどの期間だった」と記されている。
告知を受ける乙女の聖堂
傑作の生まれた場所
丘に住む天文学者
ミケランジェロがローマで亡くなる三日前、1564年2月15日にガリレオ・ガリレイがピサで生まれた。
十歳からピサ大学に入学するまでのおよそ七年間、ガリレオはフィレンツェで暮らしている。
そして1610年、即位して間もないコジモ二世からトスカーナ大公国の主席数学者兼哲学者に任命され、ガリレオはようやくフィレンツェに腰を落ち着けることができた。
1632年、ガリレオの『二大世界体系 プトレマイオス説とコペルニクス説 に関する対話』が出版された。
そしてその年の秋、地球の運動と太陽の不動性を主張したとして、彼はローマの異端審問に召喚された。
メディチの女性たち
フィレンツェ市庁舎では2000年から毎年2月18日、トスカーナ大公メディチ家最後の人、ブファルツ選帝侯妃アンナ・マリア・ルイ―ザの命日を記念したセレモニーが催される。
もし彼女がいなかったら、ウフィーツィ美術館やピッティ宮殿にある至宝の数々は今頃そっくりウィーンの王宮や美術館に展示されているか、最悪の場合には、ばらばらに売り払われて世界中に散らばってしまったかもしれないのだ。
ロレーナ家 メディチの後継者
1737年7月9日、ジャン・ガストーネがピッティ宮殿で息を引き取り、トスカーナ大公国はロートリンゲン家の手に移った。
ロートリンゲンのイタリア語読みはロレーナである。
ゲットーとユダヤ人
キリスト教徒の高利貸しはローマ教会から断罪され、その一方でユダヤ人がこの職業を営むのは暗黙のうちに認められていたが、中世には品物を担保とする金融業者はキリスト教徒の方がずっと多く、利子も高かったようだ。
低利で借りられるユダヤ人の金貸しは、職人や小規模商人にとってありがたい存在だった。
新大陸に夢を求めて
アメリゴ・ヴェスプッチ(1452または54~1512)はフィレンツェ出身の航海家
新大陸に「アメリカ」の名前が初めて使われたのは、1507年にロレーヌ地方のサン・ディエ修道院から出版されたラテン語の『世界誌入門』においてである。
そしてドイツ人地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラーによって作成された付録地図にも初めて「アメリカ」という名前が記された。
電話の発明者はアレクサンダー・グラハム・ベルに決まっているではないか、と言われてしまいそうだが、実はそうではない。
フィレンツェ出身のアントニオ・メウッチという人物こそが真の発明者。
歴史に残る訪問者たち
「クリミアの天使」フローレンス・ナイティンゲール(1820~1910)はフィレンツェ生まれ。