追跡 間宮林蔵探検ルート
サハリン・アムール・択捉島へ
相原秀起 著
北海道大学出版会
2020年4月24日 第1刷発行
はじめに はるかなる林蔵の旅
林蔵が悲壮な覚悟でカラフト探検に臨んだ背景には、択捉島でロシア軍に屈辱的な敗北を喫した「フボストフ事件」(1807年)があった。
第一章 サハリン最果ての村 林蔵立った極北の地
一 憧憬のルブロワ
ルブロワで林蔵は大陸とサハリンを隔てる海峡の存在を自らの目で確かめて、地図や絵に残した歴史的な地であった。
地理的にはアムール川の河口から海峡を挟んで対岸にある。
林蔵は訪ねた19世紀初頭には、この村はナニオーと呼ばれた。
ロシアでの取材はウイスキーの竹鶴はときに現金より効果があった。
二 海峡を実証した砂丘
林蔵が残した絵には、この絵のように視点を上空に置いたものが多い。
林蔵は鳥の目を持つ異能の人間であった。
三 村に伝承「昔、日本人が来た」
語り継がれている日本人が林蔵かどうかはわからないが、彼以外の日本人は考えられない。
四 錦の帽子は語る
ルブロワは13世紀から江戸時代まで、中国からアムール川経由で北海道まで伸びていた、北のシルクロードの中継地だったのかもしれない。
ルブロワにもフレップ(つつじ科の赤い果実)があった。
一 海鳥とラッコの楽園
ラッコはクロテンと並び最高級の毛皮で知られている。
二 巨大な滝ラッキベツ
三 ロシア軍に屈辱の敗戦
林蔵が択捉島で働いていた時、ロシアの海軍士官フボストフに攻められた。
林蔵にとって伊能忠敬は生涯の師匠だった。
五 決意を語る生前墓
第三章 宗谷岬を越えて 再起かけ、決意のカラフト行
一 出発の地・宗谷岬
二 白主(クリリオン)の地
三 トナイチャ湖横断
四 北緯五〇度の旧国境線に立つ
五 間宮海峡最狭部へ
第四章 さらば最後の犬ぞり使い 林蔵の残した記録と現在
一 樺太犬とともに
二 海峡を越えた友情
三 石油開発のはざまで
四 消えた花 シライ・サーックラ
第五章 間宮海峡と大陸 上陸地点、残っていた坂道
一 ラザレフ再訪
著者がラザレフに来た目的の一つは冷戦下の秘密計画スターリントンネルの取材だった。
スターリンはサハリンの防衛を強化するために間宮海峡の地下をくぐる秘密の地下トンネルの建設を命じた。
工事はスターリンの死によって中止された。
二 大陸上陸の地・タバ湾へ
三 衛星写真のような林蔵の地図
四 林蔵の記録通り「街道」発見
第六章 アムール川 幻の交易地 デレンと北方先住民
一 竜の錦を持つ一族
二 流域の各地に残る蝦夷錦
三 語り継がれた交易地
林蔵が訪問した交易地デレンは現在のノボイリノフカ村に位置する。
中国の人々は大地の中をうねる大河を竜に見立てて、黒竜江と名付けた。
四 狩猟先住民の村「クラスヌィヤール」
五 アムール川 地の果ての岬
ラザレフ岬のそばを林蔵は通過した。
おわりに 語り継がれる林蔵
林蔵は現在の上川管内上川町近くのアイヌの集落でアイヌの女性と結ばれ、女の子が生まれ、その子孫は間見谷氏として存在する。