教養としてのラテン語の授業 古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流

教養としてのラテン語の授業 表紙

教養としてのラテン語の授業

古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流

ハン・ドンイル 著

本村凌司 監訳

岡崎信子 訳

ダイヤモンド社 発行

2022年9月27日 第1刷発行

 

著者自らいろいろ悩みながら、ラテン語を通して人生を学んでいきます。

 

Lectio I 胸に秘めた偉大なる幼稚さ

Magna puerilitas quae est in me

 

Lectio II 最初の授業は休講します

Prima schola alba est

 

Lectio III ラテン語の品格

De Elegantiis Linguae Latinae

 

Lectio IV 私たちは学校のためではなく、人生のために学ぶ

Non scholae sed vitae discimus

 

ラテン語の読み方は、古代の発音を除くと大きく二つにわけられる。

・ローマ式発音(スコラ発音)

4~5世紀に始まり、中世の時代を経てローマカトリックが用いてきた方式

・古典式発音(復元発音)

古典的な文献をもとにルネサンス時代に復元した発音

 

英・米・ドイツ系の学者たちは古典式発音を、イタリア・スペインの学者たちはスコラ発音を使う。

 

Lectio V 長所と短所

Defectus et Meritum

 

Lectio VI ひとりひとりの“スムマ・クム・ラウデ”

Summa cum laude pro se quisque

ラテン語は韓国語や日本語などと同様、冠詞という概念に相応する単語がない。

 

ヨーロッパ言語は、この冠詞の登場によって名詞の性と数を示すことができるようになり、さらに、厳密な語順の使用によって格を表せるようになった。

 

Lectio VII 私は勉強する労働者です

Ego sum operarius studens

 

勉強を続けてきた理由

会社は辞めると退職金が出るが、勉強は途中でやめても何も残らないから

 

Lectio VIII カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい

Quae sunt Caesaris Caesari et quae sunt Dei Deo

 

Lectio IX たとえ神がいなくとも

Etsi Deus non daretur

 

Lectio X 与えよ、さらば与えられん

Do ut des

 

Lectio XI 時間は最も優れた裁判官である

Tempus est optimus iudex

 

Lectio XII すべての動物は性交後にゆううつになる

Post coitum omne animal triste est

 

Lectio XIII あなたが元気なら、よかったです。私は元気です

Si vales, bene est; ego valeo

 

アヴェ・マリアAve Mariaは「ごきげんよう、マリア」という意味

 

Lectio XIV 今日は私へ、明日はあなたへ

Hodie mihi, Cras tibi

 

Lectio XV 今日を楽しみなさい

Carpe diem

 

Lectio XVI ローマ人の悪口

Improperia Romanorum

 

Lectio XVII ローマ人の年齢

Aetates Romanorum

 

Lectio XVIII ローマ人の食事

Cibi Romanorum

 

Lectio XIX ローマ人の遊び

Ludi Romanorum

 

剣闘士の戦いは葬儀のためのものだった。

 

Lectio XX 物事は、知っているものしか見えない

Tantum videmus quantum scimus

 

Lectio XXI 私は欲望する。ゆえに存在する。

Desidero ergo sum

 

Lectio XXII 韓国人ですか?

Coreanus esne?

 

Lectio XXIII しかし、今日も明日も、またその次の日も、私は進んで行かねばならない

Verumtamen oportet me hodie et cras et sequenti die ambulare

 

リンゴが悪となるのは、アダムとイブが蛇にそそのかされて、「善と悪の知識の木」であるリンゴを食べ原罪を犯したという、聖書のエピソードによるもの

sex の由来は数字の「6」だった。6番目の戒律「姦淫するべからず」だが、口にするのもはばかられるようになったため。

 

Lectio XXIV 真理に服従せよ

Obedire Veritati!

 

中世の人々は聖書を尊重しつつ、世界の問題を「世俗の学問」の力で解決しようと試みる。

 

Lectio XXV みな傷つけられ、最後は殺される

Vulnerant omnes, ultima necat

 

traumaトラウマはラテン語では、多くの傷、という意味

 

Lectio XXVI 愛しなさい、そしてあなたが望むことを行いなさい

Dilige et fac quod vis

 

Lectio XXVII これもまた過ぎゆく

Hoc quoque transibit