南仏旅日記
スタンダール 著
山辺雅彦 訳
新評論 発行
1989年7月10日 初版第1刷発行
1838年3月8日、休暇中のチヴィタ=ヴェッキア駐在フランス領事スタンダールはパリを出発しボルドーに向かう。
以後スペイン国境、南仏の各地、スイス、ドイツ、オランダ、ベルギーをまわり、7月22日にパリに戻る。
乗合馬車、蒸気船、汽車を乗り継ぎ、合計136日間、約五千キロにわたる大旅行であった。
スタンダールは当時55歳だった。
Ⅰ ボルドー
これほど醜い古代遺跡を見たことがない。ヴィエンヌのピラミッドより醜い、と書くスタンダール。
Ⅱ トゥールーズ
私はトゥールーズ方言が完全に理解できる。
フランス語より、はるかにイタリア語に似ている。イタリアの方言を聞く感じだ。
Ⅲ 再びボルドー
モンテスキューはラ・ブレードで生まれた。
ボルドーがフランスに決定的に併合されたのは、1451年、シャルル七世の条約によるが、それに先立つ二世紀の間、イギリス流の統治を受けた。
Ⅳ スペイン国境
Ⅴ ピレネー山脈の麓
Ⅵ モンペリエへ
ファーブル美術館のラファエロによる金髪の美青年像は、現在ではアンドレア・デル・プレシャニーノ作とされている。
Ⅶ マルセイユ
ボルドーがフランス一美しい町だとしたら、マルセイユは最もきれいな町だ。
プラタナスの小道のおかげである。
港の向こうは、ノートル=ダム=ド=ラ=ガルドの岩山で、眺望をよくするためにわざとそこに置かれたような山だ。
先の尖った岩山には木が一本もなく、伝道の十字架が数本と、頂上にフランソワ一世が建てた砦だけ。
(この時にはまだ寺院は無かった)
マルセイユ美術館の作品の紹介
ミシェル・セールの絵を計24点見て驚く。
1658年カタルーニャ生まれ、マルセイユで1733年に没した無名の画家。
パリ美術館で、フランス派に割り当てられた場所を占める凡庸な画家の誰よりも、はるかに優れていると思う。
こういう美術館で見ものなのが、肖像画である。マルセイユではすばらしいポンバドゥール夫人を見つけた(実はシャトール夫人)
グラウキアスの墓
ギリシャ語の碑文がいまでもはっきり読み取れる。
グラウキアスの息子が父に語りがける。
ある助役がニームの「メゾン・カレ」についてこういった。
「よし、この建物を取り壊そう。跡に立派な広場ができるし、金をせびられないですむだろう」
1838年現在、ニームは「メゾン・カレ」内の美術館に対し100フランか50フランしか支出していない。
美術館の絵画は四分の三は壁に向けて置かれ、多くの絵には埃が指二本ほども積もっている。
Ⅷ 東へ
ヴァランスの吊り橋上の凱旋門
捕遺
それで幸せな気分。ノートル=ダム・デ・ドンにうっとりし、宮殿、ジョットの窓にうっとりした。
ドイツ人は細部を無視する勇気がない。ストラスブール(ケール)・ケルン間の三か国語で印刷された汽船の時刻表を三回開いて見たが、いらいらして三回とも止めてしまった。
イル川という水の汚いしみったれた小川がストラスブールを離れ、いくつかの支流に別れてさえいる。
乗合馬車の青年。ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』は神様の着想ですよ!熱烈極まりない讃美
訳者あとがき
カフェへお茶の葉を持参して熱湯を所望し、ぬるい湯をよこすといって腹を立て、馬車やホテルの食堂の相客の下品さに顔をしかめ、歩きにくい舗道にいまいましがる。