日本の聖と賤 近世篇

日本の聖と賤 近世篇 表紙

日本の聖と賤 近世篇

野間宏沖浦和光 著

人文書院 発行

1992年10月20日 初版第七刷発行

 

第一章 「海の民」と瀬戸内水

瀬戸内海では、川のように勢いよく潮が流れる。しかもその方向が時間によって刻々変化し転流するから、潮待ちをして連潮に乗らなければならない。順潮を利用しないと、上手く前に進めない。

 

朝鮮侵略が失敗すると、水軍はもう用済みの危険なパワーとして解体させられた。

つまり、文禄から慶長にかけての頃に、旧村上海軍は完全に壊滅させられてしまった。

 

第二章 〈異類〉視された「山の民」

 

第三章 江戸文化と河原者芸能

江戸時代を通じて、西欧人の手でかなり多くの日本観察記が書かれています。ケンペルのルポはその中でも特筆すべきものです。

 

化政期には、平賀源内や司馬江漢に代表されるように、科学畑だけでなく、芸術家でも通用する万能のルネッサンス型の人間が多い。

菅江真澄なんかもすごい。彼の民俗学的記録は、当時としては世界レベルでも特筆すべきものです。

 

第四章 日本史の転換点・近世民衆社会

1920年代のドイツやロシアの表現主義者は、はじめて日本にやってきた歌舞伎を見て驚いている。

西洋の劇場はいわゆる額縁舞台だが、歌舞伎は極めてダイナミックな舞台構造をもっている。

 

南北が生きた化政期は、武家政権のうれすぎた爛熟期であり、文化的には退廃と倒錯の時代だとよくいわれる、果たしてそうか。

むしろ武家権力の行き詰まりがはっきりしてきた解体期の前夜であり、日本独自のやり方で近代への架橋が開始される新しい民衆文化の興隆期であると思う。

 

『歴史のなかの江戸時代』

三人の外国人の江戸時代の研究家の討論

当時の日本の民衆文化の高さに驚いている。

 

18世紀のヨーロッパでは、最も進んでいたイギリスでも、読者層は貴族やブルジョアジーに限定されて、庶民が本を買うことは一般化していなかった。

 

ジーボルト(シーボルト)などが、江戸時代の日本人がよく旅していることを指摘。

 

16、7世紀からの古文書がよく保存されている日本

識字率や計算能力だけでなく、紙の生産が質量ともによほど高かったからか。

 

往来物

寺子屋などで使用された初等教科書の一群

 

江戸時代の民衆レベルでの読み・書き・ソロバンでは世界一ではないか

 

森鷗外はドイツでタンツアー、今日流でいえばストリップショーの女の子とできていますからp325

(これは舞姫をそのまま現実だと思ったことによる誤り。帽子製作や縫製業に従事していた時があった(六草いちか2013))