サマルカンドへ ロング・マルシュ 長く歩くⅡ

サマルカンドへ ロング・マルシュ 長く歩くⅡ 表紙

 

サマルカンドへ ロング・マルシュ 長く歩くⅡ
ベルナール・オリヴィエ 著
内藤伸夫 渡辺純 訳
藤原書店 発行
2016年7月10日 初版第1刷発行

62歳のフランス人男性が、2000年にトルコ東端からイランを横断し、トルクメニスタンを通りウズベキスタンサマルカンドに、ほぼ徒歩で至った旅の記録です。
この前後にはイスタンブールから出発し、西安まで歩き、最終的にシルクロードを制覇しています。
結構な歳の方が歩くだけでも凄いのに、自然の脅威や社会的にも危険な土地柄、そして信用できない警察や国境の役人に対して立ち向かう姿にはさらに敬服させられます。
自分はテレビの町ぶら番組が好きで、その中でも日本国内の四国八十八ヶ所芭蕉奥の細道を歩いてめぐる番組、まさしくロング・マルシュ番組を視聴して、なおかつ憧れているのですが、まず体力からして持ちそうにないのが残念です。

 

1 嵐
廃位された国王と同じ名前だった人
イランの革命の後、大学を去らね場ならず、長距離トラックの運転手となる。
フランスでは、40年のフィリップたち(ヴィシー政権のフィリップ・ペタン元帥にちなむ)は、その名前のせいでこれほどの辛酸をなめる必要はなかった。p38

2 バザール

 

3 キャラバンサライ
キャラバン用の館の伝統は、二十五世紀前からアレクサンドロス大王に征服されるまでにこの地を支配したアケメネス朝にさかのぼる。
もとは郵便用の宿駅だったが、その後商人やさまざまな宗教の信者の宿泊地となる。

4 渇き

5 泥棒警官
泥棒警官にカメラを盗まれる筆者

6 テヘラン
トルクメニスタンのビザの取得、砂漠横断のための小さな荷車(表紙の写真)の制作、新たなカメラの受け取りを何とか行う

 

7 砂漠
一部を車で移動
2000年6月29日 セムナーンで徒歩旅行再開

サッカーのユーロカップ決勝をホテルで観戦する筆者たち
フランスの逆転優勝
(自分はパリにいた時にこの試合を見て、フランス勝利後夜のパリの街をさまよった思い出があります)

8 芸術家たち

 

9 タリヤーク
タリヤークとは阿片のこと
麻薬が蔓延するイラン

10 サヴァク
サヴァクとはシャーの時代に忌み嫌われていた警察
革命後その警察を再利用するムッラー

ホメイニを受け入れたからフランス人は好きだが、イラン・イラク戦争の時イランを爆撃したのはフランスの飛行機だった。p174

11 巡礼者たち
三百万以上の人口を数えるイラン第二の都市マシュハドのすごいところは、何よりも毎年千五百万人の巡礼が九世紀にひと房の葡萄で毒殺された第八代イマームのレザーの墓にお参りにやってくることにある。p289

 

12 国境
イラン社会でわかったことは、偉人や聖人の廟を訪れるのはごく普通のことだが、それはムッラーたちの乱暴で息のつまる権力に対して距離を置いていることを表現できるからなのだ。p296

イランで驚くべきことは、自然の国境がなく、波瀾の歴史を経てきたにもかかわらず、統一性を保持できたということである。p300

13 トルクメン
共産党幹部であったサバルムラト・ニヤゾフはTKPトルクメニスタン共産党という略語の一文字を変えてTDPトルクメニスタン民主党、にしただけである。それ以外、何も変わったものはなく、党が莫大な富を握り続け、党を率いていた特権階級がいまも変わらずその地位にある。
そしてニヤゾフに対する個人崇拝は古今の例をしのぐ。p322

トルクメン人とウスベク人はロシア語に対する独立性を確認する意味でラテン文字を採用したが、それでもロシア語がトルクメン人、ウスベク人、タジク人、キルギス人が使う中央アジアの本当の共通語である。p328

 

14 カラク
ラクム砂漠
人が神の声を聞いたのは、常に砂漠のことだったといわれる。
生命の跡すらなく、人間は圧倒されるほかないこの無辺の世界では、神の力、救いの手を差し伸べてくれる力という考えにすがるのは慰めである。p355

15 ブハラ

16 サマルカンドの青い空
変化の渦中にあるウズベキスタン
ロシア人は国外に移住している。公式言語はウスベク語
宗教は往時の繁栄ぶりを取り戻しているが、アフガニスタンタリバンの侵入を警戒している。p421