シスレーの跡を訪ねて①(ポール・マルリー)

下宿からデファンスまで地下鉄で行く。
ここからバスに乗り、ポールマルりーやブージヴァルに向うのだ。
バスターミナルはデファンスの広場などの下側になり、あまりよい雰囲気ではない。
デファンス自体も、不良グループの抗争があったらしく、治安には注意が必要である。
目的のバスを見つけ乗り込む。
いかにもパリの郊外らしい風景を通った後、セーヌ河沿いになってきたので、見込みをつけてバスを降りる。
川沿いを歩いていく。側の幹線道路を車がビュンビュン走っていく。
そのうちパネルの地図があり、場所を確認する。幹線道路から外れる。並木があり、その側に絵と説明書きがあった。この並木の絵もシスレー作とのことだが、知らない絵だった。
更に歩いていくと、例の「ポール・マルりーの洪水」のモデルとなった店を見つけた。
確かに、絵が書かれた時とほとんど変わっていない。右側の並木まで同じである。しばし足を止め眺める。この場所で彼がこの名画のためにキャンバスを構えたのかと思うと感慨深くなる。
近くで集会があったらしく、結構人や車が行き交っている。落ち着いたところを見はからい、写真を撮る。
この周りの作品の場所には複製パネルがある。他を探すために、セーヌ河の中州などもうろついていると、東洋人の若い女の子がいた。しばらくして声をかけられた。「あなたは○○人ですか?」
「いいえ、私は日本人です」とそっけなく回答してしまう。芸術散策に必死になっていたためでなく、単に好みのタイプでなかっただけだと白状しておこう。好みなら何人でもよいのだ。
結局、河沿いでは二つほど見つける。
更に山側にも行ってみる。見つけたホテルの名前が「アンプレッショニスト」とあるのはぴったし過ぎて安っぽいので笑えた。坂の手前で激しい筆致で派手な色使いの絵画の複製があった。更に坂を登り教会のそばにも行ってみるが見つけることはできなかった。
この時は前準備もなく、絵画の知識自体乏しかったのでしょうがない。
再訪のチャンスがあれば、ちゃんと下調べをし、なおかつシスレーピサロの画集を抱えて行きたいものである。それでも、途中で好みの女性に声をかけられたら、中断してしまうかもしれないが・・・。
探索を終え、バスに乗りデファンスに戻る。