ジャン・コクトー作 堀口大學訳 「耳」Cannes V

このところ、太田和彦さんの居酒屋探訪の番組を、特に居酒屋好きでもないのですが、よく観ています。
太田さんの独特の語り口に、はまってしまったのかもしれません。
先日、貝料理専門の居酒屋に行った時、テーブルの上の貝殻に
耳を当てて、こうおっしゃっていました。
「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」
さらっとこういうフレーズが出てくるのが羨ましいですね。さすが資生堂出身(笑)。
改めて調べてみると、ジャン・コクトーのCannes Vという詞を堀口大學が「耳」という題で訳したものでした。
原文は

Mon oreille est un coquillage

Qui aime le bruit de la mer

となっています。シンプルなフレーズです。
まず耳を貝殻にしたコクトーの発想の勝利です。
そしてそれをきっちり七五調にまとめた、堀口大學の勝利でもあります。
原文では、Cannes Vという一見無機質な題名も好きです。カンヌでの6作の連作の五番目だそうです。
南仏のカンヌというエリア自体も魅力的なのですが、堀口大學により、世界のあらゆる海辺、海岸へと普遍性を与えられた、という気もします。
この詩のおかげで、そこいらの海岸でも、もちろん居酒屋でも、貝を拾って耳にあてることがサマになります。
あとついでながら、Cannes Vという題名から、イギリスの王様で、パリのホテル名でもある、George Vを思い出してしまいました。
泊まったことはないのですが、ホテル内の一室での催しに参加したことを思い出しました。

大聖堂近くの妙な店(アミアン、フランス)

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ソンム川沿いを東に歩いていきます。
この角度からだと大聖堂の尖塔がひときわ目立ちます。
写真を撮った時は気付かなかったのですが、後でじっくり見ていると、川沿いに妙な店を発見しました。
黄色い看板をよく見ると、「S○X SHOP」と書かれているではありませんか。
そういうエリアならともかく、大聖堂という宗教的でなおかつ観光の地区にそのような店があるのは場違いに感じます。
この写真は二十年ほど前なので、今はどうなっているのかGoogleマップで確認すると、普通のバーになっていました。
さすがに改善されたようですね。
この辺りからサン・ピエール公園に入っていきます。

アミアンのソンム川沿いから見た大聖堂

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アミアンノートルダム大聖堂を一旦出て、北側のサン・ピエール公園方面に向かいます。
その途中、ソンム川沿いから撮った大聖堂です。
並木が整い、大聖堂の威容を支えているようにも感じます。
川沿いにはレストランが多く並んでおり、画像のようなオープンテラス席もありました。
テントに載っているCASA NOSTRAは店名で、イタリア語で「我らの家」という意味です。
川沿いで大聖堂を愛でながら飲み食いできる、理想的な立地だといえるでしょう。
更にソンム川沿いに歩いていきます。

アミアンのノートルダム大聖堂のステンドグラス

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アミアンノートルダム大聖堂の内部に入ります。
中が暗い分、ステンドグラスが鮮やかです。
中央のステンドグラスはどうやら新約聖書の物語のようです。
キリスト教についての知識も乏しく、画像も粗いため、はっきりとはわかりませんが、向かって左の下からストーリーが進んでいるような気がします。
なんとか目をこらして見てみると
左側の下から七番目は、受胎告知の場面に見えます。
同じく左の上から五番目は、洗礼者ヨハネとキリストでしょうか?
右側の一番下は、弟子の足を洗っているキリストのように見えます。
そして右側の上から四、五番目は磔にされたキリストのように思えます。
頼りない知識でステンドグラスの内容を読み取っていくうちに、現代のように、書物や映像などで物語を追うことができなかった昔、特に中世の時代には、ステンドグラスが物語るストーリーが人々の意識に深く組み込まれていったんだろうな、と感じることが出来ました。
少し、中世人になった気分です。

アミアンの大聖堂正面と観光案内所

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再びアミアンノートルダム大聖堂の前に戻ります。

前回の薄ぼんやりした画像と違って、こちらはファサードがよく見えます。

バラ窓の下あたりに並ぶ人物像は「諸王のギャラリー」と呼ばれています。

皆さん、王冠をかぶり杖を持っています。

これは後期ゴシック聖堂に共通する彫刻装飾で、アミアンのこの大聖堂には22体並んでいます。

この大聖堂のそば、写真の右下には観光案内所らしき小さな看板があります。

現在では写真の左側にあたる場所に移転されているようです。

歴史探究のヨーロッパ(第3章~)

第3章 サン・モール会の誕生と発展

サン・モール会

パリのサン・ジェルマン・デ・プレを拠点として1631年に発足した修道院

 

第4章 ジャン・マビヨンとその時代

1632年に生まれたジャン・マビヨン

31歳の時サン・ジェルマン・デ・プレ修道院での生活に入る。

戒律生活のかたわら歴史研究に打ち込むマビヨン

研究に携わるものとそうでないものの間には目に見えない緊張関係が生まれる。

「文書の形式について」の成立

文書や記録の真贋判定

また偽書と判断されたなら、その偽造の理由なども判断されなければならない。

新たな記録や文書の発見のための旅

ラテン語で記された旅の記録

1682年の「ブルゴーニュ巡歴」

1683年の「ドイツの道」

1685・86年の「イタリアの道」「イタリアの博物館」

 

第5章 修史事業の展開

「アクタ・サンクトールム」(聖人伝)

聖人の伝記を集成した事業

聖人の祝日(命日)にあたる月ごとに分けて出版

この編集に携わるイエズス会士のことを「ボランディスト」と称するのは、最初の巻を出版した時の責任者がボランド(1596~1665)だったから。

1643年、1月を祝日とする聖人の最初の作品が出版された。

1940年5月に12月単一巻が出版され、全68巻が完結を見た。

 

18世紀のイタリア文化

ヴィーコを除いて語るべきものなし、という評価があるほど

そんな中「イタリア叙述史料集」を単独で編集出版したルドヴィコ・ムラトーリ(1672~1750)

 

フランスでの資料集成

マルタン・ブーケ師の「ガリアおよびフランスの歴史家集成」

 

第6章 デカルトライプニッツ

17世紀に生きた哲学者にして数学者のルネ・デカルトと哲学者、数学者、歴史家であったゴトフリート・ライプニッツ

 

古典主義はフランスをはじめヨーロッパ全域で起こった文化・芸術的運動

フランスにおいては1660年から1715年にかけて顕著

つまりルイ14世の親政開始からその死まで

人間の類型としてフランス語でオネットム(紳士)と形容される人間が理想とされる。

 

バーリンの著書「ハリネズミと狐」

ハリネズミ型はすべてをただ一つのヴィジョン、論理的で明確に表明された体系に関連させ、それによって理解し考え感じるような人々

狐型はときには無関係で、矛盾すらしている多くの目的、関連があったとしても事実としての関連であって、なんらかの道徳的、美的な原則によって関連付けがなされない多くの目的を追求する人

ハリネズミ型としてプラトン、ダンテ、パスカルヘーゲルニーチェ、ドフトエフスキー

狐型としてヘロドトスアリストテレス、モンテニュー、シェークスピアエラスムス

 

新旧論争

1680年頃から、ルネサンス以後古代ギリシャ人や古代ローマ人を賞揚するよりも、近代人の天分の素晴らしさを主張する人々が表れる。その間の論争。