アルルの円形闘技場から見える3つの塔は何?

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アルルの円形闘技場から前とは別の方向に目を転ずると3つの塔が見えました。
一番左は円形闘技場の一部で、中世にここが要塞状の居住地となったことにより造られた監視塔です。
中央はサン・トロフィーム聖堂のロマネスク様式の鐘楼です。
右側はアルル市庁舎の一部で、時計台、そして鐘楼として使われているようです。
どれも時代は違うものの古代ローマ円形闘技場からの風景にふさわしい、統一した風情を有していますね。

NHKテレビ・ラジオの語学講座に思う

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NHKテレビドイツ語講座のベートーベンさんたち


NHKのテレビ・ラジオでの語学講座、自分はよく視聴しています。

ラジオでは、まいにちフランス語と、実践ビジネス英語を聴いています。
実践ビジネス英語では、英単語の説明における例文が、税金に関することが多いように思えるのですが、気のせいでしょうか?(笑)
テレビではフランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、そしてあとはリトル・チャロ1(笑)
といっても、テレビの方はしっかりとは見ておらず、朝のあわただしい時にチラチラ見ているだけで、勉強には全くなっていないのですが。
フランス語は、黒木華さんがいつも嬉しそうに笑っておられる姿がすぐ思い浮かびます。
イタリア語はダヴィデ君が、少し気持ち悪いです(笑)
ドイツ語はベートーベンさんたちのアニメがいいキャラになっており好きです。
10月からはどうなるのかわかりませんが、ベートーベンさんたちはぜひとも続けて頂きたいものです。

アルルの古代ローマ円形闘技場 ニームとの違い

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アルルの古代ローマ円形闘技場のアリーナを撮影します。

こちらもニームのそれと同じく、現役バリバリで、今も使用されています。

アルルとニームの違いを比較すると(フランス語のwiki参照)

建造時期

アルル 紀元80-90年

ニーム 紀元90-120年

全体の大きさ

アルル 長径136m×短径107m×高さ21m

ニーム 長径133m×短径101m×高さ21m

アリーナの大きさ

アルル65m×40m

ニーム69m×38m

収用人数

どちらも25000人 

ニームは現在は13000人と書かれていました。

あと、世界遺産には、アルルの方だけが登録されています。

大きさも年代もほぼ同じなのに、なぜ世界遺産登録がアルルだけなのか気になります。

ワインの世界史

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ワインの世界史

自然の恵みと人間の知恵の歩み

山本博 著

日本経済新聞出版社 発行

2018年3月1日 第1刷発行

 

ワインの歴史について書かれた本で、日本人の視点から書かれた本です。

そうした意味で、ワインを通して見たヨーロッパ史とその文明の本になっています。

 

ワインはエジプト、イスラエルギリシャ、ローマと、いわゆる今日のヨーロッパ文化、その思想的底流にヘブライムズとヘレニズム、の形成とともに、その一環として育ってきたものである。

 

資料で裏付けができるワインを飲みだした最初の人々は、シュメール人だと言われている。

 

メソポタミアからもたらされたワインが、エジプトの地で花を開いたとも考えられる。

ワイン及びワイン文明の生みの親をメソポタミア、育ての親をエジプトということが許されるなら、それを成人にして完成させたのがギリシャということになる。

 

今日のシャンパンを大産業にさせた地下の大洞穴は、ローマ軍が道路の舗装に使うための白亜を掘り出した跡である。p135

 

中世、一定の奉仕(期間を限った従軍)と引き換えに、一定の領地(封土)の支配を認めるという封建制が始まる。

このヨーロッパで成立した「封建制」と同じような歴史を持つのは、ヨーロッパ以外では日本だけである。p149

 

中世のキリスト教信仰は今日のキリスト教が全く無視している一人の熱狂的信者でファンタジックな発想を持ったヨハネが書いた「黙示録」から始まっている。

天国や地獄というようなことは、イエスがはっきり言っているわけではない。p162

 

中世を彩るのは、ローマ時代と違った意味での「都市」の勃興である。もともと都市は王侯や領主の城下町、大寺院や修道院門前町として発達するが、または交易の便のよい場所(ことに河川沿い)にも自然に都市が発達していった。

 

シャンパンはドン・ペリニヨンが考案したというのが伝説になっているが、これは疑わしい。

ルイ14世のご機嫌を損ねてチャールズ2世の王政復古時代にロンドンに亡命していたサン・エヴルモンという人物が開発したといわれる。p208

 

短くないコルク栓が普及するようになるまでのワインと、以後のワインは全く別である。

それ以前のワインはすべて樽詰めで、樽から出して飲んだ。樽のワインは一年くらいしか持たないため一年物だった。

壜とコルク栓が普及して、初めてワインを壜熟・熟成させて品質を向上させて飲むようになったからである。

壜熟成によって絶妙な味になることはほかの酒ではあまりない、ワインの特性なのである。p233

 

ナポレオンの偉大な業績

フランス革命イデオロギー=理念を現実の制度に化体させた人物

ナポレオン法典」で抽象的なスローガン「自由・平等・博愛」を現実の社会制度にした。

民法典の中の「人格」、「所有権の絶対」、「契約の自由」、「不法行為」は、それぞれ「平等」・「自由」・「博愛」の法律的表現なのである。p252

 

ナポレオン3世は悪帝扱いされることが多かったが、オスマン知事の大都市改革もその構想と計画については細部にわたるまでナポレオン3世のものだった。

ナポレオン3世の政策のうち、万国博覧会ボルドー・ワインの格付け、そして鉄道がワインにも重大な役割を果たしている。

 

イル・ド・フランスはもともとワインの大生産地だった。ワインを量産していたため、薄くて酸っぱいものがほとんどだった。しかし鉄道が開通し、南仏のミディ・ワイン(ラングドック地方のワインの愛称)の濃くて飲みごたえがあるワインが大量にしかも安い価格で流れ込んでくると、とても太刀打ちできなくなった。

 

1975年から世紀末にかけての25年間にワインの革命というべき大変動が起きた。その要因は

・ブドウ栽培とワイン醸造における現代科学の導入

・「流通面」での構造的変革

・「消費者層」における変化

・「ワイン・ジャーナリズム」の発展

アルルの古代ローマ円形闘技場からの眺め 教会と日本人のパティスリー

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アルルの古代ローマ円形闘技場からの眺めです。
ローヌ河の間における町並み、パラボラアンテナがあるのを除けば中世のようにも見えます。
ひときわ目立つのが左側に位置する、塔を伴った建物です。
これはサン・ジュリアン教会です。
この教会はフランス革命まで小教区の教会でした。
11世紀にはこの地にロマネスク様式の教会があり、1490年から聖アントワーヌ(アントニウス)の聖遺物がおさめられていたそうです。
そして17世紀に再建されました。その礎石は1648年、グリニャンアルル大司教により置かれました。
1660年にはアルルにルイ14世が訪問しています。
17世紀から18世紀にかけて、この教会は多くの美しい貴族の邸宅が建てられた地区の中心となりました。
1944年には爆撃により教会の一部が破壊されますが、戦後すぐに同じ形に再建されました。
現在では定期的に教会内でコンサートも開かれているそうです。
この教会について調べている過程で、教会のすぐ近く、9月4日通り沿いにYamamoto Masakiという方によるパティスリーの店があるのを発見しました。
ご夫婦でされているようで、現地の人たちにも好評なようです。
アルルに行く機会があれば、立ち寄ってみたいものです。

(サン・ジュリアン教会およびパティスリーについてはグーグルマップを参考にしました)

アルルの古代ローマ円形闘技場の外観

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アルルの古代ローマ円形闘技場の前に立ちます。
外観はニーム円形闘技場と同じく、二層式で、下は四角い付け柱(ピラストル)のあるアーチが並び、上は変形したコリント式の円柱とアーチが並んでいます。
ニームとの違いは、上部の更に上を占める装飾のようなものが、アルルでは無いことでしょうか。
その代わりにというか、アルルでは画像のように上に伸びた部分があります。
これは中世になって、この建築物が要塞状の居住地となった際に監視塔として設置されたものです。
そして19世紀前半に闘技場として再改築されても、この監視塔は1ヶ所を除き、3ヶ所はそのまま残されました。
今となっては、この円形闘技場の、建築上の一つの個性とも言える部分になっています。

(週刊 世界遺産 No.30を参考にしました)

 

静かに流れるアルルそばのローヌ河

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アルルの街のそばを流れるローヌ川です。
リヨンやヴィエンヌ(ビエンヌ)、アヴィニョンなどの街からゆったりとしたローヌの流れを見てきましたが、アルルは河口近いこともあり、より緩やかな川面だったように思えます。
2011年に、この辺りの水深6メートル下の川底から、古代ローマの木造船が見つかりました。
全長31メートルで、底が平らな船です。そしてオールは無く、棒にロープを繋いで人力で引き、川を遡ったそうです。
またアルルのローヌ川の川底では、アンフォラと呼ばれる古代ローマ時代の壺が沢山見つかっています。
地中海各地から、オリーブやワインなどが運ばれてきて、アルルを起点としてガリア各地に運ばれたようです。
ローヌの流れが、フランスの人や物の流通に大きな役割を果たしていました。
そのような歴史を底に秘めて、ローヌはずっとゆったりと流れています。